①論理学(L)
命題関数とは、何をどうするのか?
真理関数では表現できない、主語と述語及び「全ての」や「任意の」を記号化し表現するという、推論式や真偽表を書きました。
夜、時間が出来たので、カフェPへ。もう絶対に理解は出来ないでしょ、と思い込んでいた量化理論での推論式を何度も何度も図や描いていたら、ある瞬間にするっと入ってきました。完璧では全然ないのですが、やっぱり、この瞬間が堪らないです。こういうことのために、生きているんだと、思います。⬅やばい人がおる!
次回の科目試験は、恐らく4科目横滑りで、A,E群しか空かないので、最低限〆切までに2科目提出すればよくて、その後もレポートは書き続けたらいいかな?と、思うと、落ち着いてきました!
②「だから、俺は、ひとりではない」という30代の頃の父親と同じ台詞を呟いてしまう件について
父には友達がいません。
現在、過去、恐らく未来においても。
一方、母には300人位友達がいます。
もっといるのかもしれません。
では、二人の子である私には何人友達がいるでしょう?
長男は「30人!!」即答しました。
意外に頭がキレるな!(親バカか!)
理屈でいったらそうだよね。きっと。
でも、まあ、もうちょっと、少ないかな。
すぐに、好きなことに没頭して(精神的に)山奥に引きこもる自分を、ずるずるっと、リアルな世界に引っ張り出して、そして、「今はそれなんだ?おもしろーい!」と、笑ってくれる、友達は、そんな存在です。
さて、厳密に言うと、
父には(現在生きている)友達がいません。
父の友達は過去の偉人達です。
それは、哲学者、作家、音楽家、政治家です。
なんて、淋しい男なんだ!!
と、15歳までは、思っていました。
今は、全面的に、父に同感です。
特に、まともにレポートに取り組むようになってからは、住み慣れた街のカフェや公園には、ソクラテス先生や、カント爺さん、フーコー兄さんとの楽しい思い出が溢れています。
時代を超えて、尚、色褪せることなく、君臨する真理や定理が理解出来たとき、理解出来ずとも、その片鱗に少しでも触れた時、深い繋がりと友情を感じます。
そして、今日も同じ台詞を呟くのでした・・。
いや、母が早々に私の本質を見抜いて、父のようになったら、女の子なのにやばい!と、一生懸命軌道修正してくれたから、リアルな友達は数は、数は、少なくても、いるんですけどねヾ(゚д゚;)
そういうんじゃ、ないんです。
今日の学習
・論理学(L)6時間
今日の体重46.4㎏ 28歳
明日の予定
・論理学(L)
・英語と教育社会学