はじめに
母から子ども達への玩具やお菓子と共に、何やら巻物が送られてきました。
「えーと、おばあちゃんに以下を約束して下さい。1番、親や先生の言うことを素直に聞くこと、2番、嘘は絶対に絶対につかないこと・・・でたよ」思わず吹き出してしまいました。
私は「絶対に嘘はついてはいけない」と厳しく育てられました。現代社会において果たしてそんなことが可能なのでしょうか?
今回はカントの義務論から嘘について書きます。
カントの義務論の前に
カントの義務論と対比されるのが「功利主義」という考え方です。功利主義とは、行為の価値を大多数の人々の快楽を増大させたかどうかで判断します。従って、幸福を増大させるのであれば、その嘘は許容されます。
こんな感じでしょうか・・
結果的に助かったからOK
カントの義務論における嘘
カントの義務論では、嘘は絶対についてはいけないとされています。
その理由は以下の通りです。
①まず、行為における動機の確認は難しいです。
②意思の善悪に関する基準は義務にあり理性が下す無条件の法則が「定言命法」と言われます。
まあ、母の巻物みたいなものでしょうか・・
③ここからが本題です。
嘘はつく人とそれを聞いて信じる人がいて初めて成立します。
嘘をつく人は嘘のない世界を求めつつ、自らが嘘をついているという自己矛盾を抱えます。
人格を高めようという向上心などよりも、その場の利益や快楽に操られて動くようになります。
それは、一見自由なようで、他のものに縛られている状態であり、非常に不自由です。
従って、自分の生き方に首尾一貫性を持たせ、自由でありたいなら、嘘は避けるべきだ、というわけです。
④様々な批判
なんですが、当然、様々な批判があります。
ここから、持論を展開しようと思ってましたが、長くなったので、続きはまた・・
前回のカント先生が夏前だったので、次は春前・・
今週の体重と慶應通信
再レポです。
レポートは残り3科目です。
10日に1本ペース・・かな?
今週平均 44 .4kg 155㎝
記録しないと1kg増えたので、再開です。