慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

【その他】君のとなりに

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慶應通信の話ではないです。


1.世界に想いを馳せていた頃


生まれて初めての記憶は父の書斎。
南向きの光が差し込む八畳の洋室。


壁面一体型の巨大な本棚に詰め込まれた大量の本。
大きなステレオと床に散らばった無数のレコード
母が買わされてしまった百科事典とおまけの地球儀。


一歩部屋から出れば大家族と田舎のコミュニティ
孤独とは無縁の賑やかな日々は楽しかったが、
地球儀を回しながら、
読めない本に目を通しながら、
一人静かに過ごす時間は至福だった。



なぜ自分はここに存在するのか。


窓の外に地球儀のような世界が存在するならば、
なぜこの場所に生まれたのか。



両親はなぜ自分の両親なのか。


それは誰が決めたのか。


ここに来る前の自分は何処にいたのか。
死んだら自分は何処にいくのか。
時の流れは永遠に続くのか。
それは地球上だけの話なのか。


宇宙の果てには何があるのか。
生命の始まりは何なのか。



分からないことだらけの世界なのに
なぜみんな平気な顔をして生きていけるんだろう。


それらは、
自分にとって重要な問題ではあったが、
母や祖母にとっては、
明日のお米を何合炊くのか
今年のお中元は何処で頼むかの方が大問題だった。
聞くことがはばかられた。



父は聞けば答えてくれたはずだが、
当時は仕事が忙しく顔もあまり見たことがなかった。



友達が欲しい。そんな話がしたい。



3歳と8ヶ月だった。
もうすぐ幼稚園。


友達出来るかな?楽しみ!!


2.でも、魂は渡さない

期待に胸を躍らせて入園したが
話せる友達は一向に出来なかった。



当然だ。
健全な幼稚園児はそんなことに関心はない。
でも、当時は本気でがっかりした。


追い討ちをかけたのは「お祈り」である。


カトリック系の幼稚園だったので
週1回、園内の教会でお祈りが行われた。


なぜお祈りをするのか?
そもそも神様って誰のことなんだろう?
近くの神社にいらっしゃる神様とは別人なのか?


どうもイエス様という海外の神様らしい。
なぜそのイエス様に
「良い子にしてください」と祈るのか。
それはイエス様に届くのか?
一体今私は何をしているのか?
そもそもお祈りって何なのか?

やりたくない訳ではない。
反抗しているつもりはない。


ただ、一言説明があっても良いのではないか。
何の説明もなくお祈りを強制するなんて。


いつまでたっても満足いく答えを誰も教えてくれなかった。いや、上手に質問出来なかったからかもしれない。


親にも先生にも必死で訴えても相手にしてもらえない日々の孤独から徐々に自分の殻に閉じこもり始めた。


さらに、問題を面倒にしたのは、
自分の強すぎる感受性だった。


幼少期の自分は、
相手の考えや感情がダイレクトに分かってしまう子供だった。

耳を塞いでも入ってくる感じだ。
先生は子供を見ていない。
気持ちがここにない。


そんなの気持ちがなくても休まず頑張って幼稚園来て仕事してたんだから責めちゃだめでしょ?と今は思う。


でも、子供は残酷だ。許せなかった。
幼稚園や先生達への不信感を募らせていった。


幼稚園には行かないからっ!!


母は厳しい人だった。
子供達のことはとっても愛しているけど
ダメと言ったら絶対にダメな人だった。


お姉ちゃんや近所のみんなが通ってきた幼稚園に行かないなんて、そんな我儘は認めません!!


違う。そうじゃない。
そんな話じゃないんだ。

思いを言葉に出来ないもどかしさに咽び泣いた。

母は強敵だ。
幼稚園に行かないという選択肢はない。


でも、魂は渡さない。


身体はあっても、気持ちは幼稚園には置かない。
歌わない。躍らない。お祈りもしない。
口もきかない。遊ばない。


自分のやり方で徹底的に反抗した。


学校には来るけど屋上でワルサして時間になったら帰る不良みたいなイメージでしょうか・・。


しかし、お腹は空くから給食は食べていた。
この辺が自分の詰めの甘さだと思う。


そんな生活が2年続いた。


流石に疲弊していた。
もう、いいんじゃないか・・。


何も変わらない。味方がいない。
孤独だった。何より希望が見えない日々が辛かった。


限界だ。
ごめんね、もう、やめる。


こんな馬鹿げたこと・・。


でもね、覚えておいてよ、悔しい気持ちを。
子供にも明確な意思があるって。
みんなとちょっと違う子供の叫びを、
受け止めらるシステムを作って欲しい。
無い物とカウントして踏みつぶさないで欲しい。


絶対に忘れないで。

年中の2月だった。


雪道をザクザクと歩きながら終わりを決意した。
頰を突き刺すような冷たい風が気持ち良かった。



3.頑張って生きてきて良かった

諦めた途端に、状況は一気に好転した。


2月下旬、浜松から女の子が転園してきた。
面倒見がよく社交的な母親はすぐにその子の母親と仲良くなった。


2週間ほど過ぎた頃、家に遊びにきた女の子の母親は、ひどく興奮してこう言った。


「ダメだよ。すぐに幼稚園探そう。ここにいたら、子供達ダメになる。あなた何も分かってない。幼稚園ってこんなんじゃない。朝から晩まで教育番組みせてるなんてありえない。年長の4月に間に合わせるよ!すぐ心当たり探して」


「えっ・・?!うん、分かった!」


あまりの剣幕に母はあっさりと承諾した。


私は黙ってやり取りを聞いていた。

そして、トイレで泣いた。

お祈りはともかく、
自分が感じていたことは信じていたことは間違っていなかったんだ。


今まで頑張ってきて良かった。


絶望の淵から救ってくれた友達の母親に心から感謝した。

新しい環境に身を置ける嬉しさに胸が震えた。
よし!失った2年間を取り戻すぞ!


時を同じくして、母親のお腹に赤ちゃんがいることが判明した。私とは6歳、姉とは9歳差になる。
当時としては高齢出産だった。
懸念事項が山のようにあった。


私がつまらないことに拘って反抗していたから、
母親の精神状態が安定しなかったのではないか。
本来ならもっと早く赤ちゃんが来るはずだったのではないか。


激しく自分を責めた。
母と赤ちゃんに何かあったら私のせいだ・・。



でも、過ぎたことは仕方ない。



生まれてくる弟のために私は頑張る。
絶対に良い子になる。最高のお姉ちゃんになる。


この時点では弟とは誰も言っていない。
生まれるまで性別は分からないはずだったからだ。
しかし、私には弟の輪郭まで見えていたから確信していた。


まずは幼稚園に真面目に通う。
更生するんだ。



4月から転園した市立幼稚園は、
園庭や裏山で泥だらけで好きなだけ遊ばせてくれた。
最高だった。
しかし、リボン結びや鍵盤ハーモニカなど
反抗して一切やらなかった代償は大きかった。
まさか幼稚園で落ちこぼれるとは!!


でも、そんなこと痛くも痒くも無い。

とにかく嬉しかった。

不器用な自分を丸ごと包み込んでくれる温かい先生の眼差しが心に沁みた。

今まで、頑張って生ききて良かった。
しみじみと感じながら遅れをひとつづつ取り戻した。


4.君のとなりに

当時を振り返る度に不思議に思う。
自分に何が起きていたのか。

記憶は全てはっきりと残っている。
確かに、時間や空間の概念に思いを馳せていた。
説明なく宗教を押し付けるなんて魂の冒涜だと怒っていた。子供と真摯に向き合わない先生達に絶望していた。

しかし、常識的に考えて早熟過ぎるのではないか。
慶通でいえば西洋哲学史1、2現代倫理学の諸問題、倫理学に該当するだろうか。

私は独特の思考以外は何かに秀でていた訳でもなく普通の子供だった思う。


だけど、恐らく自分以外にも同じような子供達が何処かにいるはずだ。そんな少数派の子供たちの特殊な能力や才能を生かせる社会であって欲しい。


彼らが偏見の目で見られて居場所を失うのではなく希望持って生きていけるシステムが必要だと思う。


「今でなくていい。
今は可愛い弟の最高のお姉ちゃんになること優先したい。いったん私は降りる。

でも、諦めたわけじゃない。あなたが大人になった時それがないなら作って欲しい」

4歳の君からのメッセージを、忘れた日なんてない。

君はいつもとなりにいる。
君がいるから、どんなに辛くても一歩前に進める。

キルケゴールサルトル実在論
プラトンイデア説、勉強してる時、君がにやけている気がして可笑しかった。

君のとなりで話を聞きたい。
君が知りたいことの全てを。

分かる範囲で答えてあげたい。

いや、タブレットでも渡そうか・・。
その方が早い気がするな・・。