最近、不思議な出来事がありました。
ある人から、一生懸命にやってきたこと、何十年も積み重ねて大切に育ててきたことを侮辱され、罵られました。
行き違いが多く、誤解を解くべきか迷いましたがやめました。
「課題の分離」という観点からも、自分に非があったしても、ここまで感情的になって辛辣な言葉が出てくるには相手にも理由があるはずなので、これ以上介入しなくても良いかなと思って流しました。
でも、その言葉に悔しくて泣くということは、そこに一片の真実があるからに違いない。
そして、目標に対して号泣するほどの想いがあったのかと今更ながら気がつき、真摯に反省し即座に行動しました。
行動すると見える世界が一瞬で大きく変わりました。
その人にとても感謝しています。
罵倒されることで、泣いて悔しがるほどの情熱があったことに気がついたからです。
相手には何も言い返しませんでしたが、
自分自身を深く抉った傷は、本当に大切なことは何かを思い出せてくれました。
慶應通信では76期秋の方が入学された頃でしょうか。
今いる世界から一歩踏み出すことに対して、
否定的な言葉を投げかけられる機会も、
残念ながらあるかもしれません。
それが、愛する人や大切な友達、信頼する上司という可能性もあります。
うわぁ、めっちゃ辛いやん。
でも、挫けないでください。諦めないでくだい。
そんな時は思い出してください。
あなたは1人ではありません。
共に頑張りましょう。
なんか宗教みたいでこわいですが、
自分のためにも、好きな言葉を置いていきます。
気高い心は時間を従え、空間を制服する。
それは、偶然というほら吹きの詐欺師を怯えさせ、
環境という専制君主から王冠を奪い、意欲的に奉仕する
遅々とした歩みのなかでも、忍耐を崩してはならない。
理解する者として待つ事だ。
気高い心が立ち上がり命じたならば、神々は必ずそれに応えてくる
ジェームス・アレン著
『原因と結果の法則』
苦しいこともあるだろう。
言いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが、
男の修行である。
他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、
お前が光を見たのなら、
行動しろ。思いしれ。
そして、常識に屈するな。
お前がその目で見たものが真実だ。
あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。
信じぬくんだ。たとえ一人になっても
これから始まるあなたの大冒険を楽しみにしています。
私も頑張ります。