慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

ひとりごと

私はお酒が飲めない。ついこの間まで子役だったはずの俳優が「まず、レモンサワー、ビールより甘い系ですね。その後日本酒」みたいな話をしていると「ぐぬぬぬ」と唸ってしまう。私はいつ大人になれるのだろうか。このままでは子供どころか孫が「やっぱビールは最高やね」と言っているのを眺める日が来るのかと切ない気分になる。

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「本当に飲めないの?飲まないじゃなくて?」とよく聞かれるが正確には「アルコール分解酵素」が極端に少ないのだと思う。血液検査のようにアルコール検査を成人の日、または18歳の誕生日にできたら良いのに。まさか自分がアルコールがダメなんて想像もしていなかった。大学時代は体育会系の部活に入り「これはあかんやつじゃないか」と自覚するまでは、かなり危険な日々だった気がする。どれくらい危険かというと、サイゼリヤのグラスワインを間違えて飲み干した時、一緒にいた友人が何度も救急車を呼ぼうとした。「体質の問題だから心配ない。時間が経てば多分治るから大丈夫」朦朧とする意識の中で必死で止めたものだ。それくらいダメなのだ。アルコールがダメな人は分かって貰えると思う。見た目や根性の問題ではなく酵素がないという化学の世界の話なのだ。

人に介抱されるのが苦手なので、大人になり、無茶することはなくなったが、一方で、お寿司のワサビが食べられない子供のような寂しさも募った。

新卒の頃、会社帰りはいつも終電間際。先輩達はビール片手に家路を急いでいた。CMのように喉を鳴らして歩きながら飲むビールは媚薬のようで羨ましかった。しかし、なんて会社だ。

そんな私の女友達は酒豪が多い。飲めない私と比較して相対的にではなく、絶対量がやばい。ステレオタイプは良くないが酒豪の女性で悪い人はいないと思う。

彼女らは、よく働きよく飲みそしてよく食べる。また物欲も激しい。どっこい生きてるシャツの中という感じがする。経済を回すとはこういうことなのか。世の中にはこれほど美味しいものがあるのか、みたいなとこに気付かせてくれる。こんなことを書くとあなた一体毎日何してるんですかと言われそうだ。

最近、学芸員の方から美術教育に関する話を伺う機会があった。「美術館は些細なことに感動する訓練の場。日常に非日常であるアートを取り入れることで気付きとアイデアが生まれる」なるほど、そういうことなのか。だから最近はビジネマンも美術館に積極的に訪れるのか。自分にとって書籍が該当するかもしれもしれない。狂ったようにあらゆるジャンルの書籍を貪り読むことで先人達の知恵や息遣いを感じることができる。そして、日常に溢れた些細な出来事に感動し生きているという実感が得られる。これからは本ばかりではなく、美術館に足を運び画集なども見てみよう。

話が逸れてしまった。お酒どこいった。そんな霞を食べて生きているような自分にとって酒豪の友達は観念的なものではなく本能的に生きることへのリアルな感動を与えてくれる。

会えない日々が続いて寂しい。いつでも会えると思っていたのに。誘われるたびに「スタバで珈琲じゃダメなんかい」なんて心の中で毒ついていたのに。私のしょうもない哲学談義を面白がってくれてありがとう。すぐそばにあった柔らかくて優しいもの。なくなっても平気だと思っていたのに。なくしたくない。ずっと友達でいて欲しい。Skypeとか Zoomじゃダメですか。LINE通話でよくないですか。ダメです。あなたのその飲みっぷりや食べっぷりが好きなんです。生まれてきて良かったな、もっと頑張って生きてみようって勇気が湧くのです。かけがえのない存在に気が付いた。そんな日々でした。