慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

中学受験の記録

「中学受験で人生が決まるって本当?」

2日目の朝、目黒通り沿いを歩きながら、ふいに長男が呟いた。

「誰が言ったか知らないし、その価値観は否定しないけど。個人的にはそうは思わないかな」

「なんで?」

「死力を尽くしたら、後は、どんな結果であっても、それが最高と言えるように人生を寄せていくだけだから」

「そっか・・」


「世間体とか全部私が引き受けるから。今は余計なことを考えるでない」

「うん」

「あなたが死ぬほど頑張ってきたのは私が知ってる。胸張って答案においてこい!」

「わかった!」

「元気でいってこい!」

笑顔で手を振る。

見送った後、足元から崩れそうになる。
胸が張り裂けそうだ。怖い。
変われるものなら変わりたい。

「大船に乗ったつもりでいて!」
子どもの頃は調子いいことばかり言ってたな。
父と母に謝りたい。
見守る側がこんな思いをしているとは。

中学受験の話をすると何万文字になるか分からない。
受験生の親御さん全てがそうだと思う。

印象に残ったことを少しだけ記録しておきます。


2060年に虹を描こう

詳細は書けないですが、最後の追い込みでSDGs関連の対策をしていたときです。

SDGs、ESG、CSR・・この数年間、仕事で何度も扱ってきたなあ。任せて!

その時、ふと、恐ろしいことが頭をよぎりました。

待って、これ12歳の子どもが論じるの?

私が知る限り、2040年までなら何とかぎりぎり語れるけどその先は?

2040年では彼らは30歳にもなっていない。

2060年でも50歳。

もし仮に2030年に全て達成していたとしても、それを如何に持続させるのだろう・・。

「息子よ、なかなかの難問ではあるが良い機会なので、共に考え尽くそうではないか」

「おうおう」

答えのない問いに真摯に向き合い続けた時間は苦しくもありましたが、

互いの新たな夢や希望を見出す貴重な機会になりました。

そういえば、大学生の頃、孫の代まで地球が保ち応えるか分からない。

そんな状況で子孫を残すのは無責任ではないかと真剣に考えていたことを思い出しました。

当時捻り出した答えは

自分は政治家でも科学者でもない。それでも、できることがあるならば、

何があっても折れない心を育むこと。そのためにがむしゃらに子ども達を愛し抜くこと。

可能な限りの知恵と最新のテクノロジーを継承すること。

「普通は大学生がそんなこと考えないよね。やっぱお母さん変わってるわ」

「そうかな?あなたの孫の代には2100年超えるけど、何か秘策はあるのかね?」

「なんとかする。それに1人じゃないから」

「おお!具体的に述べよ述べよ述べなさい」

こんな会話が世界中でされているのかな。

孫の孫のその先の代まで
地球が愛と笑顔で溢れますように。

心臓が抉られるよな日々のなかで、
十三夜月を見ながら不意に和んだ。

終わりに

今回の受験の軸になった高大接続改革なども書こうと思っていましたが、このへんにしておきます。

戦歴も控えますが、合格の二文字を見た時は号泣しました。

合格発表で泣いたのは生まれて初めてです。

子どもの受験を経て少しだけ人間らしくなった気がしました。

今日まで支えてくださった全ての方に感謝します。

努力が報われず 
不安になって
珍しく僕に当たったりして

ここで諦めたら今までの
自分が可哀想だと
君は泣いた



夢を追う君へ
 
思い出してつまずいたなら

いつだって物語の 
主人公は笑われる方だ

人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

by サザンカ

先の見えない不確実性の時代に、
最後の最後までやり抜いた子ども達と
親御さんに心から敬意を称します。

コンフォートゾーンを抜け出して

2023年というよりは、生活スタイルが大きく変わった1年半を振り返ります。

勉強編
 ・目標 認定心理士取得
     実験以外の33単位充足

子どもの活動編
・企業行政等公の場でのプレゼン4件
 その他非公式4件
・取材他7件
・知り合った方 107名

詳細は書けないですが、最後のプレゼンを終えた後に「なんか仕事みたいだったね」と冗談で言っていたら、キャリア教育の一環としてお話してくださいという依頼がきました。

「これでは誰がやっても同じだわ。あなたがプレゼンする意味が全く見えてこない」
「本気で伝えたいことは何?辛くても苦しくても深堀りしてください。そうでないと誰にも何も伝わらない」
「相手の立場に立って俯瞰する目を持って。神は細部に宿ると信じて手を抜かないで」

思い返せば、気持ち悪くなるほど厳しいことを言った気がします。

それ、あなたできているんですか?って聞かれたら、本当にごめんなさい。完璧にできたことはないです。

大人でもしんどいことを最後までやり遂げたことで得たものは大きいと思います。

素晴らしい機会を提供してくださった方々に感謝しかありません。


さて、この体験を通じて、私が最も驚愕したのは、

自分と子どもという狭い世界の話ではなくて、
テクノロジーによる子ども達を取り巻く環境の変化です。

小学生ということで、連絡は基本的に自分が担当していましたが、安全を担保したうえで、大人と直接やり取りできる環境を作っていきたいと試行錯誤してきました。

そして、実際にそれは可能でした。

となると、企業や大人との連絡手段は如何ようにでもなるうえに、アイデアは斬新かつ潤沢、表現するツールの操作はむしろ彼らの方が慣れているケースも多いです。

現在は、YouTuberやTikTokrが脚光を浴びていますが、それに留まらず、フワッとした言い方をすると、生成AI等を使いこなせば、子どもでも仕事として成立する分野は増え続けるでしょう。そうなった場合に、契約や報酬、税制などはどうするのかな・・・。

4歳の頃、父の会社でンゴゴゴゴゴゴーンゴゴゴゴーと動く巨大コンピューターを見ながら、

「テクノロジーで世の中はフラットになるんだぜ!子どもと大人の境界線はなくなるんだぜ!」

そう呟きながら、夢見た世界ではありますが、リアルにその片鱗を見て足がすくみました。

止まらなくなるので、このへんにしておきます。

さて、子どもはいいから、自分は何してたの?という話です。

・新たに始めた活動3件
・個人の活動や勉強を通じて知り合った方 67名

キャリア教育や日経ソーシャルデザイン集中講座が中心ですが、名刺の枚数ではなく、一人一人の顔を思い浮かべながら、指を折って数えました。

どの方も、それぞれの専門分野で世の中を良くしたいと果敢に挑戦されている方ばかりで胸を打たれました。

自分の非力さを痛感するばかりで足が震えましたが、あまり卑屈になられても相手は困るだろうと、出来ることをやりましたが、どうだろう・・。


そうそう、楽しみにしていたソフトボールの決勝戦は雨で中止になりました。

あの豪速球を投げるピッチャーから何が何でもヒットを打ちたかった。いやいや、かするだけでも構わない。三振でもいいから勝負したかった。スタメンに入るかどうかも、代打に起用されるかも分からないけれど。いずれにせよ、試合がなければ何も始まらない。

ひとりでシクシク泣いていたら、LINEからチームのみなさんのメッセージが流れてきました。同じ気持ちだと分かって少し元気が出ました。

来年必ず優勝できるように、役に立てるように、毎日積み重ねていきたいです。今回の大会で、勝敗を握るのはベンチの厚さだと痛感したので、これから3年はスーパーベンチを目標に基礎を固めていこうと思います。5年後にスタメン、10年後にピッチャーを目指してやっていけたらなと思います。

熱くなってきたので、この辺にします。

詳細は書けないですが、キャリア教育の支援で出会った中学生から貰ったメッセージを置いておきます。


本当にやりたいこと
「もう一度完全試合をしてチームを勝たせたい」

そのために取り組んでいること
・食べるのが苦手ですが真面目に食事を摂る
・筋トレをして身体を鍛える

応援メッセージ
やりすぎに気をつけてくださいね

人生積み重ねが大事ですよね

勝つために食事をちゃんと摂って偉いです

頑張って練習して勝ってください

苦手なことも挑戦して偉いと思います

仲間と一緒に勝ちたいというところが良いですね!

【質問】
大変な時はどうやってモチベーションをあげていますか?

学生時代に亡くなった友達のことを考えます。
輪廻転生を信じてるので、友達も何処かで必ず今も生きているとは思いますが、次会った時に恥ずかしくない自分でありたいと思ってモチベーションをあげます。なんか凄いこと成し遂げるとかではなくて、クスクスっと笑ってもらえたら良いなと。

やる気があって凄いと思いましたが、どうすればやる気は湧きますか?

行動することでしかやる気は出ないので、最初の1文字、1回を何も考えないで踏み出すようにしています。


みんなも全国大会頑張ってね。レギュラーになれるように祈っているよ。夢が叶うように応援しているよ。才能あるんだから誰に何いわれても絶対に諦めないでね。

私も逃げないで頑張ります。そんな気持ちにさせてくれた生徒達に心から感謝します。

次も胸を張って会えるように、しっかり生きようと思います。年内、やり残したことだらけなので、まず、そこからです・・。

出会いに恵まれたかけがえのない日々ではありましたが、時間管理が全然できなくて、年間50冊は読んでいた専門書も20冊程度しか読めず、勉強らしい勉強もできず渇望感が半端ないので、そういう時間をこれからは意識して確保したいです。

いやもう、カラカラなんです・・。

turn over?

自分には器以上で、震えながら挑んできた幾つかの仕事が終わりました。

あっという間に年末なので保留にしていた内容を振り返ります。


2023年夏休みの記録 ヤモリのその後
生き物係から託されたヤモリ。結論から言うと夏休み中に亡くなりました。それも、子どもがコンクールの副賞として参加した3泊4日の旅行中に。私は人や動物の死期が分かるので前日から覚悟はしていましたが、命が尽きたヤモリを見て胸が張り裂けそうになりました。その日は、日吉で友達と会う約束をしていたのですが相当動揺していたと思います。全てを察していつも通りに接してくれた友達の気遣いが身に沁みました。

1人になれる場所を見つけて子どもみたいに泣きました。どんなに泣いても戻ってこない。どうして別れはいつもこんなに辛くて苦しいんだろう。

次の日、羽田空港で4日振りに会った息子を前にして言葉が見つかりませんでした。途方に暮れながら車に乗り込んだところ「僕から言わなきゃダメか。もしかして、ヤモリ死んじゃった?」「なんで分かるの?」「そんな顔してたら誰でも分かるわ。これだけは忘れないで。お母さんのせいでは絶対にないから」こうやって子どもは親を超えていくのかなと思いました。


富山に帰省する際に担任ではないのに善意で育ててくださった先生、ホームセンターの爬虫類コーナーで「本当は選別禁止だけど特別だからね!」と小さいコオロギを取り置きしてくれた店員さん、ギガ端末でヤモリの飼い方を細かく教えてくれた生き物係さん、日経ソーシャルデザイン集中講座でヤモリを気にかけてくださった先生方、延々続くヤモリ話を根気強く聞いてアドバイスをくれた友達、本当にありがとう。でも、ごめんね。結局だめだった。

ほぼ毎日撮ったヤモリの写真をもとに観察日記を作成しました。担任の先生の心遣いで子ども達の自由研究と一緒に展示されることになりました。ヤモリのお墓も校庭の桜の木の下に作ってもらいました。落ち込んでいる私のために二代目のヤモリを検討しているという有難い話も頂きましたが丁重にお断りしました。子ども達の温かい心が嬉しかったです。

今でもヤモリは時々夢に出てきます。もっと上手に飼っていたら生きていたのにと思うと苦しくて仕方がありません。そろそろ前を向こうと思います。

「いずれ全て失うことを分かっていながら、守るべきものを増やすのは耐え難い」という理由から、自から生き物を飼うことはありませんでした。

他人の価値観は否定しないですが、生き物を飼う意味が実のところよく理解できていませんでした。今回のヤモリを通じて、少しですが理解できる気がしました。

全て失うことが分かっているからこそ一瞬が輝くのです。それは動物だけでなく人間も同じで。怯えてばかりいないで、一歩踏み出そうと思います。ヤモリを通じて出会ったたくさんの人達の愛ある言葉は忘れません。

この夏はいろいろあって精神的に追いめられるようなことの連続だったのですが、振り返るとヤモリとのフワフワとした幸せな瞬間ばかりが甦ります。過ごした時間は一生忘れません。大切なものを守り抜くために泣いたり笑ったり真剣になったり。こんな「夏の大冒険」みたいな日々を積み重ねていけたら最高なのかもしれないなと思いました。

ただ、この件は美談では済まされない重篤なインシデントも孕んでいて、それはそれでずっしり堪えました。ヤモリを生かすことに集中するあまり本質を間違って捉えてしまった代償は大きく自分の甘さや未熟さを痛感しました。大人の大冒険は綺麗事では終わらないのであります。

長くなってしまったので、資格や勉強の話はまた今度・・そんなこと言ってるうちに年越しそう・・

初戦の記録と猛省

ソフトボールのチームに入って5ヶ月。
以下、初めての試合の記録です!

ピッチャーどころかスタメンから外れたことが分かった時は気絶しそうになりました。

まだ半年も経っていないし、そもそも地元の人間ではないし経験者でもない。

言い訳なんていくらでもある。

でも、守備や打席が圧倒的に上手ければ、間違いなくスタメンに入っているはずだ。

自分は、まだまだ、その程度の実力なんだ。

間に合わなかった。悔しいなあ。
6月からの日々が走馬灯のようによみがえる。


子どもの頃は、こんな場面でどうしてたっけ?

狂ったように深夜に素振りをしている中1の自分と目が合った。

30年かけて目標を達成するとか言ってたくせに。

もう日和ってるの?

今日がスタートじゃないの?

どうしてもソフトボールがやりたいってチームを探し始めたのが3月。

6月に仲間に入れてもらって、

ユニフォームまで着せてもらって、
試合にも呼んでもらって。

関東大会出場とか、
そんな凄い人達がいる試合で、

同じマウンドに立っているだけで
奇跡なんじゃないの?

これだけの恵まれた環境に感謝はないの?
気絶するとか頭大丈夫?

しっかり応援して、役に立て。
恩返ししてこい!

むむう・・

気持ちを切り替えて、

誰よりも声を出して、
チームのためにやれることは全部やりました。

恥ずかしい話なんだけど、今までどんな競技でも、スタメンから外れるとか、そういう経験がほとんどなくて、

試合に出られないってどんな気持ちなんだろう?どうして他人のこと必死で応援できるんだろうって不思議に思っていたけれど、

目の前にいる大切な仲間が実力を発揮できますように。どうか奇跡が起こりますようにという真っ直ぐな思いが届いた時。

不安でいっぱいだった選手に笑顔が戻った時。チームの想いがひとつになった時。ベンチにいながら熱く込み上げるものがありました。

今更何言ってるの?と呆れられそうだけれど。本当にそこは自分の弱点で。

結果にこだわるあまり、人間として最も大切にしなければいけない真心を欠いていた気がします。ソフトボール以外も全てにおいて。


さて、試合は、初回から大量得点が続き見事勝ちました。

代打の機会を頂き、
無事にホームに戻ることもできました。

「脚速いんだね!」と言われて、また、泣きそうになりました。

死ぬ気で戻ってきたのであります。


代打一回なのに全身ドロドロ・・。

いよいよ来週は決勝です。

流石に都会は選手層が厚いです。

テレビ中継でしか見たことないような豪速球を投げるピッチャーを見て息が止まりました。

こんな日がくるなんて。頑張って生きてきて良かったです。

来週もスタメンは厳しそうですが、今日のような流れで代打のチャンスがきますように。

みんなの打線が爆発しますように。

そして、どうか勝負ができますよに。

そんなわけで、

3度目の完全試合なんてイキってたくせに、
初戦はスタメンにも入れず気絶しそうになり、

経験者との実力の差も思い知らされましたが、

1mも諦めていません。

課題が山ほど見つかったので、動画なども利用して、ひとつひとつクリアして、肉体改造も真面目に取り組んでいきたいです。

そうやって、ロボットみたいになるのが、私の良くないところなので、

隔週の練習では、仲間に入れてもらった感謝の気持ちを忘れず、感情を込めたコミュニケーションを心掛けて、絆を結んでいけたらと思います。

星の王子さまとアリラン・ラプソティ

すっかり秋めいてきました。

ちょっと、
腹を括ってやるべき仕事があるので、

約100年を振り返って、
前を向きたいと思います。

きっかけは、ある映画のボランティア募集でした。

https://rarea.events/event/199937
金聖雄監督『アリランラプソディー』
在日コリアンの集住する桜本地域に集い、老いの今を力強く生きるハルモニたちの生活に寄り添いながら思いを描いた作品


息子は元気いっぱい手をあげました。
「僕、やります!やらせてください!」
そこから全てが始まりました。

「どんな映画か分かってるの?」
「もちろん!僕頑張るから!」

この子はハルモニの何を知っているんだろう?

第二次世界大戦の本をよく読んでいるし、
歴史的な背景が気になるのだろうか・・。

あまり深い話もせず、
手帳を開き、
上映日の8月15日に印をつけました。

ところが、上映2ヶ月前になって、息子にどうしても断れない予定が入ってしまいました。

約束は守らなければ・・当日は、息子に代わって、受付など上映のサポートをしながら、作品を見せてもらうことができました。

大袈裟ではなく魂を撃ち抜かれました。

自分のなかの欠けていた、最後のワンピース。
永遠に見つからないと諦めていたピースが見つかったのです。

涙が溢れて止まりませんでした。


私の父方の祖母は、戦争孤児で半島の方の血が流れています。

生まれて間もない祖母を曾祖母が川崎で引き取って富山で育てました。

それ以上の情報はありません。

祖母はマリーアントワネットと呼ばれていました。

「綺麗なお母さんですね!」
「おばあちゃんなんです。この子は孫です!」

透けるような白い肌。溢れる笑顔。
キラキラとしたピンクのニットがよく似合う。
祖母がいるだけで、パッと空気が華やぐ。

そんな人でした。

ただ、明るく華やかな印象とは対照的に、どうしようもない闇を抱えていました。

埋められない寂しさを紛らわすように、お酒に溺れたり、浪費や虚言癖が治らなかったり、とにかく手がかかりました。

明治生まれで、自分のエゴなど微塵も見せない母方の祖母とは大違いでした。

nnaho.hatenablog.com


家族のほとんどは諦めていましたが、祖父と私は、いつか祖母の闇が晴れる日がくると信じていました。

子どもにできることは限られています。

ひたすら話を聞くことにしました。

「私はお義姉さんに比べて器量が悪かったから。だから、全然、可愛がってもらえなかった」

小2の孫を前にシクシク泣く祖母。

普通は育ててもらっただけでもありがたいって思うはずなのに。

祖母はどれだけ辛い思いをしてきたのだろう。
どんな痛みを抱えているんだろう。

「なに言ってるの?みんなおばあちゃんのこと若くて綺麗って言るから!」

「そうかな?ゆいちゃんはそう思う?」

祖母を抱きしめる。

ああ、ダメだ。

この人の心には大きな穴が空いていて、
どんなに愛を注いでも、そこから漏れてしまうんだ。

服を買っても、家を買っても、家族を持っても。
みんなにどれほど羨ましがられても。

どれだけ愛されても、絶対に満たされない。
穴を塞がない限り終わりがない。

何か穴を塞ぐ秘策はないものか・・。

そして、大学生になった頃、原文で「星の王子さま」を読む授業で運命の出会いを果たします。

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6306

そう、あの赤いバラです。

「そうなの」花は甘い声で答えた。「お日様といっしょに生まれたのよ、私 ・・・」
あまり控えめじゃないな、と王子さまはすぐに気づいた。それでも花はとても感動的で、とても刺激的だった。

花はすぐに続けて言った。「朝食の時間じゃないかしら。私に必要なものを思いつ いていただけないかしら?」
また、こうしてすぐに花はうぬぼれて――それは実のところ、ちょっと扱いにくかっ たのだが――王子さまを困らせるようになった。

「花 の言うことなんて聞いちゃいけない。ただ見たり香りをかいだりするだけでいいんだ。 あの花はぼくの星をいい香りにしてくれた。でも、ぼくはそれを楽しめなかった。」

なんだこのバラは!祖母そのものじゃないか!
赤いバラのトゲが無くなる日なんてきっと来ない。

そして、祖母の虚言癖や浪費癖、周囲への不平不満がなくなる日も来ないだろう。

一瞬で世界をピンク色に変える華やかな祖母を、そのままの祖母を愛していこう。

そうは言っても、辛い現実でした。

行き場を失った悔しさは、ある人に向けられました。
そう、祖母の産みの親です。

如何なる事情があったとしても、我が子を手放すなんて。

おかげで祖母は、今、この瞬間も寂しさに震えている。
そして、誰も助けてあげられない。

なんてことをしてくれたんだ・・。

その人の血が自分にも流れているなんて。
納得がいかなかった。

どれほど残酷な現実でも構わない。真実が知りたい。
それが、私が探していた最後のワンピースでした。

映画のハルモニに、祖母の産みの親が重なりました。

祖母が生まれたのは1930年、終戦まで15年、1952年のサンフランシスコ講和条約とともに日本国籍を失うまで約20年。

年表は頭に入っていたけれど、在日コリアンであるハルモニたちが生きた時代は想像以上に過酷でした。

そこで、気が付きました。

私も同じ選択をしたに違いないと。

戦争に終わりが見えないのだから、都心よりは田舎で暮らした方が生き残る可能性ははるかに高い。

曾祖母は商才に長けていたから、戦禍でもある程度の生活は保証されている。

誰でも良かった訳じゃない。
曾祖母だから託したのだ。

胸に抱いた大事な命を。大切な人との愛の結晶を。
私生児で日本人でない我が子を
何を犠牲にしても、守り抜きたかった。

それが、祖母を手放した真意に違いない。

そして、彼女は「自分」を犠牲にしたのだろう。

戦争が続く限り辛いことの方が多い。
「本当のお母さんに会いたい」
そんな甘い幻想を抱いて川崎に訪ねてきたら全て水の泡だ。

恨んでも、憎んでもいい。
その悔しさを力にして、生きて欲しい。

そして、私が彼女なら、こう言っただろう。

「自分に関する一切の情報を与えないでくだい」

それを曾祖母は守り抜いたのだろう。

「子どもを捨てるなんて酷い女だ」

他人は何とでも言えばいい。

虚勢を張って日々を生きながら、
陰で泣き崩れる姿が微かに見えた。

それって、あなたの妄想ですよね。
証拠は?詰められたら、返す言葉もない。

それでも、確信があった。

心の中で、彼女に呼びかけた。

本当は辛かったんでしょう。
ずっと苦しかったんでしょう。

でも、あなたの選択は間違っていなかったよ。

あなたが手放した最愛の娘は、
田舎で不自由なく暮らして、
空襲はあったけど何とか逃れて、

星の王子さまのような人と結婚して、
朝から晩まで文句ばっかり言ってたけど、

言葉を失うほど笑顔が素敵で、

病気ひとつせず、
今も、100歳を目指して、
みんなに愛されて生きているよ。

これって、あなたが起こした奇跡なんじゃないの?

「いや、時代を読めばそうするでしょ。当たり前のことだから。別に泣いてないし」

彼女の乾いた声が聞こえた気がした。

そう、そういうとこだって。

何でも自分だけで抱え込むところ。
直観が冴えていて、未来が綺麗に見えるところ。

感情表現が苦手で、言葉が足りないところ。
泣き顔ひとつ見せず潔く身を引くところ。

私のなかのど真ん中に。

あなたがいる。

1人で辛かったね。
もう、意地はらなくていいから。

本当は知って欲しかったんでしょう。
誰かの前で泣きたかったんでしょう。

何を言えばあなたの心は癒えるのだろう。

命をつないでくれて、ありがとう。

ふわっと優しい気配がして、あっという間に消えた。

何日かして、母から電話がかかってきた。

「おばあちゃんが大変なことになった」

「・・・何処か悪いの?施設でまだ誰かと喧嘩した?」

「いや、元気いっぱいなんだけど。ご飯はとっても美味しいし、みんな優しいし、私は本当に幸せ者ですって」

「それ、誰が言ったの?」

「いや、だから、あなたのおばあちゃん」

「・・・」

「大丈夫?え?泣いてるの?」

「泣いてない」

こんな日がくるなんて。
ついにトゲトゲがなくなったの?

ぼろぼろと涙が溢れ続けた。

「じゃあ、秘密を教えるよ。とても簡単なことなんだけどね。ものごとは心で見なきゃ、 ちゃんと見えないんだよ。いちばん大切なことは目には見えないんだ」

こうして、彼女と私の100年続いた戦争は、終わりました。

いやいや、終わりではない。

彼女のような人達の苦渋の決断と、
幼くして愛を失った祖母のような人達の
犠牲と悲しみ、不断の努力のうえに今がある。

歴史や戸籍に刻まれることのなかった人達の
息遣いを後世に伝える役割があるに違いない。

「ええっ!そういう背景があって、映画のボランティア良いよって言ったの?」

「いや、全然。でも、映画を見ていたら思い出したというか・・。点と点がつながったというか・・。あーでも、いろいろな人がいるから、今の話は内密に」

「なんで?僕は誇りに思うよ。純血が普通なんて日本くらいだよ。それに、そもそも、日本人はもともと住んでいた縄文人とアジア圏から渡来した弥生人の混血でできた民族だし。」

ぐぬぬ・・・」

「それより、その人どうなったのかな。その後、新しい家族ができて川崎で暮らしていたのかな。そしたら、血のつながった人が川崎の何処かにいるのかな」

目を輝かせて何やら調べ始めた。

彼女が笑っている気がした。

次の100年を。

バトンを受け取った
5走目の子ども達をサポートしながら、
愛ある世界に傾けていきたい。

3度目の完全試合 その2

夏休みの記録2023’後半を記録しようと思ったのですが、
9月に入ってからとにかく落ち着かない・・。

そんなことをしているうちに、試合が迫ってきたので、こちらを先にします。

「3度目の完全試合」20年越しの夢を叶えるたびにマウンドに戻ったのが6月初旬。

nnaho.hatenablog.com



あれから3ヶ月が過ぎました。

以下、当時の記録です。

課題は3つあります。

・遠投
 セカンド以外のポジションからファーストへの送球が届かない。

・フライ
 気持ちと経験の問題。
 セカンド以外やったことないのでとにかくこわい。
 
・バッティング
 球は当たるけれど軸がブレてしまう。
 身体がバットに引きづられてしまう。

新参者がいきなりピッチャーやセカンドはやらせてもらえないでしょう。

さすがに、キャッチャーは、自分には無理なので、

キャッチャー以外どこでも使いものになるように、秋の大会までには、3つの課題をクリアしたいです。

3ヶ月半が経過した現状は以下の通りです。

課題1.遠投
最初の1か月で鉄パイプでフォームを固めてある程度の距離は投げられるようになりました。
ショートからは何とか届くようになりました。

課題2 フライ
チームのみなさんが丁寧に教えてくれたので恐怖心は全くなくなりました。慣れもあったのかも。
外野は自分には無理だという思い込みもなくなりました。

課題3 バッティング
「芯をとらえられるようになった」「音が全然違う」と誉められるようになりました。
バッティングセンターにも時々通っていますが、まだまだ伸び代はあると思います。

その他
挨拶や掛け声は大きな声で。
移動は必ず走る。片付けやグラウンド整備は率先して行う。

少年野球の掟みたいですが、上記を徹底しました。
真夏のグラウンドは危険な暑さで何度か倒れかけたりしましたが・・

3ヶ月過ぎて、

監督やコーチ、経験者からの指導を受けるとこんなに変われるのかと驚いています。
自分自身にいかに制限をかけていたのか思い知りました。

いや、もう、感謝しかないです。

11月の試合に向けて人数確認など段々慌ただしくなってきました。

前回の練習で少しですが投げる機会がありました。
20年振りの投球は果たして通用するのか・・。
心臓が壊れるくらい緊張しましたが、せっかくの機会なので丁寧に投げました。

練習後、チームの代表者と話をしました。

「スピードのこと気にしてるみたいだけど、そこはあまり重視してない。
 それより、ストライク入っていたし、コントロールが良いと思う。
 うちはエースがいるけど当日は何が起こるか分からない。
 試合までに仕上げてこれるかな?」

「はい!」

「頼むね」

「はい♡」

ようやく、スタートに立つことができた。
ちょっと泣きそうになりました。

残された日々、バッティングセンターでの自主練、
可能であれば投球練習、守備練習を徹底して、

ピッチャーに限らず、どこのポジションでも役に立てるように、頑張りたいと思います。

当日の人数次第では試合にすら出られない可能性もありますが、完全試合は、30年くらいのスパンで考えているので、とにかく今期、万全の準備をして臨みます。




 

2023‘夏休みの記録 前編

夏休み最終日、コーラを飲みながら
「今年の夏はよく頑張った!人生で2番目に頑張った」
と酔っぱらっていたら子供がやってきた。

「人生で2番目?1番はいつなの?」
「小5。11歳」

「うわー随分昔。なんで?理由は?」
「死ぬ気でホッケーやってたから」

「死ぬ気とか。大袈裟な・・」
「あなたは身体が大きいから分からないと思うけど、接触スポーツで身体が小さくて運動能力も普通だと圧倒的に不利なの。誰よりも練習するとか、1番上手くなるとかは大前提で、プラス何かが必要なの。極寒、酷暑、荒天で絶対に折れない精神力とか。夏こそ最大のチャンス!って張り切ったんだわ」

「・・・誰の話?」
「わ、私ですが・・」

11歳の夏には届かないけれど。
全速力で駆け抜けた夏が終わった・・。

始まりは夏休み前日。
浮かれた空気が玄関から侵入する。

「ただいまー!うちでヤモリ飼ってもいい?」
「え・・ヤモリ?ヤモリー!!!」


「な、なんでうちでヤモリ飼わんといかんの?」
「生き物係のヤモリなんだけど、夏休み中誰も飼えないんだって。可哀想だなって思って」

「可哀想って・・。餌は何なの?」
「生きたバッタ」
「あなたが毎日捕獲するの?」
「うん。でも、僕はあんまり虫が得意ではない・・」

ヤモリと目が合う。
状況からして学校に差戻しは無理だろう。
受験もあるし他の子の家で飼えないのは納得できる。

私以外、家族で虫を触れる人間はいない。
この小さなヤモリの生存与奪の権を自分が握っているのか。思うところはあるが腹を括った。

「うちで飼おう。そのかわり餌の確保は責任を持ってやって。網とかあれば捕れるでしょう。そして、私が食べさせる」

「わーい!ありがとう!」

そこから2日、予定が詰まっていたので、家族に事情を説明して餌の調達は全面的に任せた。

ようやく一息ついた夜、餌は確保できたにか子どもに確認すると、
「バッタは獲れそうにないから、コオロギペーストをAmazonで頼んでもらった」
「それいつ届くの?」
「3日後」
「ヤモリがうちに来て3日目だよ!野生のヤモリは生きた虫しか食べないんだよね?コオロギペーストなんか食べるの?保証はあるの?しかも3日後?」
「保証はないけど、それしかないってお父さんが・・」

怒りがこみ上げた。
「あなたは命を何だと思ってるんだ!誰も引き取らなかったらヤモリは死んでしまう、可哀想だからというあなたの優しさは否定しない。素晴らしいと思う。それ以外のそれほど美しくはない政治的な意図も親だから何となく分かる。それも否定しない。でも、全部、命を守ることが前提なんじゃないの?保証はないけどって何寝ぼけたこと言ってるの?」

「だってどうすれば良いか分からない・・」

泣きたいのはお腹を空かせたヤモリだってば。

市内のホームセンターに問い合わせて、餌にするコオロギが購入できる店を見つけた。幸いぴったりのサイズのコオロギを扱っているようだ。

「今すぐコオロギ買いに行くよ」
「えっ、それってヤモリの餌になるんだよね。買ってきたコオロギをあげるの?可哀想だしどんな気持ちでコオロギと接したらいいの?」

「・・・あなたは牛肉も鶏肉も食べるよね。それを育てている人が必ずいるよね。飼育してる人達は、どうせ人間に食べられちゃう牛や鶏だからっていい加減な気持ちで育ててるのかな?違うよね。はなちゃんとか名前付けて大事に大事に育てるんじゃないの?」

子どもの目に光が宿った。
「分かった!餌のコオロギはうちで大事に育てる。そして、ヤモリはもちろん可愛がる」
「そう!それでいこうぜ!」

なんだか人生で初めて親っぽいことを言った気がする。
少し照れながら子どもと電車に乗った。

長くなったので前編はここまでです!