慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

【その他】学校では教わらない大切な話〜映像編集について〜

第二弾は、投資の話題にしようと準備してたのですが・・・。

映像編集の話をします。


1.はじめに

どこの家庭もそうかもしれませんが、最近、子供が熱心に映像の編集をしています。

家庭用ビデオで撮影した動画と携帯から取り入れた音源を合わせて編集して、SDカードに保存して、ビンゴゲーム中のBGMとして使用するそうです。先生からの承諾も得たそうです。

なるほど、YouTubeのみならず、今時は自作の動画を学校という公的な場所で披露出来るのか・・しかも、パソコンもアプリも使わないで仕上げるのかと驚いていると・・

「何でしないの?面白いのに!」と不思議そうに尋ねられました。

「そ、それは・・・」




さて、これは、数年前からしばしば若者を中心にされる質問です。

「何で自撮りしないの?頑ななまでにしない理由とかあるの?」

「そ、それは・・・」

男前たるもの昔話と自慢話はしないものだと亡くなった祖父に教わったので、今まで黙ってきました。

しかし、もう、20年経ったので時効かなと思います。


映像編集の話をします。


いや、そんな、たいした話ではありません。


f:id:nnaho:20200925160454j:plain

2.生涯に撮る自撮りと動画の総数について

結論から言うと、20年前に、自撮りは1万枚以上撮りました。

動画編集には、約3000時間を費やしました。

人が一生に撮る自撮りや動画編集の時間が決まっているならば、全てを、そこで、使い切ったのかもしれません。


しかも、20年前、正確には22年前、といえば、Windows98やアップルの起死回生と呼ばれた可愛いiMacが発売された年です。

その頃、私は、気が狂ったように自撮りや映像編集をしていました。

撮影は、主に業務用ビデオカメラDVCPRO AJ-D400と中型ビデオカメラはSONY社のVX-1000で行っていました。これらは、正式な手続きをして大学から借りていました。

自撮りするデジタルカメラは、大阪日本橋電気店街で1日かけて探して購入しました。当時は、スマホどころか携帯にカメラも付いていませんでした。乾電池を山ほど買ってせっせと自撮りしていました。

あまりにも夢中になって、ご飯を食べ忘れることが多くて、心配したバイト先の方々からよく食料を頂いていました。

3.創造する側の視点

「ゲームやカラオケで遊ぶことを否定はしない。でも、少しでもいいから、悔しいという気持ちを持って欲しい。作り手側の視点を失ったらおしまいだと思って欲しい」

きっかけは、恩師のこの言葉です。

当時、情報学部の2年生で、映像撮影及び編集の講習を(いやいや)受けていました。

この講習を受けなければ、様々な実習の受講資格が得られず卒業も出来ないので半ば強制です。

しかも、土曜の午後を2週間連続で返上して受けなければいけません。

機械音痴な上に、マスコミ志望でもないのに、映像編集に微塵も興味ないのに。

「こんなこと何時間もかけてやって何になるのかな?」

近くに先生がいるというのに、ため息と共に、うっかり心の声が漏れてしまいました。

そんな私の瞳を正面から見据えて、表情を一切変えずに、先生は訊ねました。

「君はいつも何して遊んでる?ゲーム?カラオケ?」

「・・・どっちも、やります。」

「それをやるなとは言わない。大いに遊んで欲しい。でも、縁あってここにきたのなら、遊ぶ側で終わって欲しくない。遊ばせる側、感動させる側、創造する側にまわって欲しい」

「・・・」

「君にとってこの講習は、地味でつまらない退屈な作業かもしれない。でも、これは、創造する側の視点を養う大切な勉強なんだよ」

「・・・」

気を取りなおして、黙々と、テキスト通りに撮影した素材を編集し、音入れとテロップを配置して、8時間近くかけた映像がようやく仕上がりました。

それは、3分程度の非常に短い映像でした。

しかし、カット割もテロップも全てテキスト通りに作っているはずなのに、それぞれの作品は全く違っていていました。

微妙なカット割りのズレや、音源の使い方、テロップのタイミングでこんなに差がつくものなのか!とただただ圧倒されました。

しかも、私の作品だけなんでこんなにダサいの!!!

そして、その瞬間から、映像編集の虜になりました。

4,全ての人が放送局になる時代

講習で受けた刺激をさらに増大させたのは、ゼミの授業でした。ゼミの先生は、1970年から「映像情報システムの開発」を目的とする実験システム構築に携わってた第一人者です。

先生は授業のたびに「これからは、1人1人が放送局となって映像を発信する時代がやってきます」と言っていました。

今なら、いや、本当にそうなりましたよね!という話ですが、テキストデータをようやく携帯やパソコンでやり取りしていた20年前には、全く想像もつきません。

しかし、そんな未来を想像するだけで、楽しくてワクワクしました。誰がどんなコンテンツを発信するんだろう。地球上全ての人が映像の発信源になったら、世界はどんなふうに変わるんだろう。

映像編集には、無限の未来がある!私は座敷童のように学校に住みついて、ありとあらゆる映像機器を使って、ひたすら編集に明け暮れました。

素晴らしい作品を作りたいというよりは、映像と編集で何ができるのかを純粋に知りたかったのです。

そのために、あれほど文句を言って受講した講習会や実習授業のアシスタントを始めました。こういうタイプの学生は、こんな作品作るのではないかと仮説を立てて、実際の仕上がりと比べたり、それはそれは楽しい日々でした。

やはり、映像編集においては、質の高い映画や音楽、芸術にどれだけ触れてきたかが顕著にあらわれます。とんでもなくセンスが良い子は、気が遠くなる程の映画を見ていたり、実際にプロとしてCGを作成していました。

ただ、個人として考えた場合に、ハリウッド映画やプロのミュージックビデオと張り合ってもあまり意味はないかもしれない。

今後は、プログラミングや筋トレ、料理など個人が得意とするものを自由に発信する時代がやってくると思うと本当に楽しみでした。

例えば、私の義父はIBMの技術者ですが、情報学の教科書にも記載されていないような開発者時代のリアルな話は自分だけが聞くのは勿体無いと感じていました。

もちろん、そのような仕事の話は、家族や近しい人々にとっては、聞き慣れた思い出話かもしれません。しかし、後世に残すべき貴重な情報を現役を引退された方々は持っておられるのではないか。

書籍にするには時間も手間かかるし、多くの人に届く可能性がとても低いです。でも、個人発信の映像であれば、気軽に作成できるので、素晴らしいコンテンツになるのではないかと思いました。

また、私は剣道部でしたが、幸運にも道場で習いはじめた小学生の頃、道場には師範の先生がいました。師範の指導を少し受けるだけで飛躍的に上達するのが不思議でした。しかし、中学に入学後の部活動では、顧問の先生も先輩も剣道は未経験者で練習は苦難を極めました。特に自分が練習の指揮をとるようになってからは、限界を感じていました。

技を口頭で説明するのは難しく、また、自分もそれ以上どうやって上達したら良いのか、効果的な練習メニューはないのかと何冊も剣道の本を買いました。しかし、どうにも痒いところに手が届かない閉塞感に苛まれていました。

今では、どんなスポーツでも、上達のポイントやコツなどが動画で説明されていますよね。

製作者との相性などもあるかと思いますが、絶対に上達の助けになると思います。今すぐタイムマシーンに乗って、あの頃の自分に、動画を見せてあげたいです。そして、部員達にも見せてあげたいです。身体能力が高くて、センスの良さそうな後輩が何人もいました。もしかしたら、もっと試合で勝てたし剣道を好きになってもらえたかもしれません。

そんなことを妄想しては、個人の動画配信は煌めくような眩しい未来の可能性の塊でしかない!と20年前の私は思っていました。

しかし、この部分を詰めることなく、漠然とさせたまま大学を卒業して就職し社会人になりました。

そして、そんな妄想を延々語り合った友人は、大学院に進学し、現在、大学で教鞭をとっています。

おわりに

自撮りの話を忘れていましたが、同じ原理で、技術の発達に従って、携帯にカメラが搭載すれば、間違いなく人は、自撮りに夢中になるだろう。

その時、どんなサービスが生まれるのか、それによって、人々のコミュニケーションはどう変化するのかを、パシャパシャと自分の顔を撮りながら考えていました。

カメラの角度や画像処理によって別人のようになった自分を見て、自撮りという文化の浸透は、人類の自尊感情まで支配するかもしれないとゾクゾクしていました。

今となっては、教育者となって、次世代の育成に貢献している友人もいるというのに、私は一体何をしていたんでしょうという昔話です。

さて、何が言いたいかというと、

ここから、さらに20年後の世界をリアルに想像してみようよ!ということと、

その上で、創造する側の視点を持ちつづけよう!ということです。

今目の前にある玩具に満足したらダメなのです。見たことも聞いたこともない玩具を自分たちで、作り出すぞとワクワクするのです。

子供達や若者に、次はみんなが頑張ってね!と押し付けるのも、違うと思うので、これは、自分自身に言っています。

あの頃は、先見の明のある先生が何人も周囲にいて、仲間がいて、文献が山ほどあって、無限の体力と時間があって、と、いくらでも言い訳は出来るのですが、

やっぱり、当時のワクワクした気持ちを一生持ち続けられたら、そんな幸せなことはない気がするので、老兵は去らないで、最後まで、頑張ってみようとかな思います。