いつも年末年始には、取得単位などを振り返っていましたが、最近考えていることを書きます。
私は花が咲いていない時期の桜を見るのが好きです。
今の季節は、越冬芽として開花を待っています。
桜は、花が散り、葉桜となった後、6〜7月頃には、早くも新たなつぼみをつけます。
夏には青々とした葉が生い茂り、秋は紅葉し、静かに葉を落とし、冬は木枯らしに晒されながら、
10ヶ月という長い時間をかけて花を咲かせます。
「桜は花が散れば、誰もわざわざ立ち止まって見ようとしない」
「でも、私はここに桜があると知っている。日々、絶え間なく成長して春には花を咲かせることを知っている」
そんなふうに、幼い頃から、花が咲いていない桜の木を見上げて、
数ヶ月後には訪れる満開の桜と、その下で微笑む人達を想像するのが好きでした。
今、ここにない未来を信じる力。
辛い時、苦しい時、葉桜や枯れ葉が落ちる桜はいつも私の心を支えてくれました。
「必ず花は咲くんだよ!」と。
そんなことを繰り返すうちに、人に対しても、時々、見えない未来が見えるようになりました。
もちろん、人から花は咲かないですが、
絶対にこうなりたい!いやいやなるんだ!という強い情熱がモクモクと湯気のように立ち込めて、
その先にキラキラと輝く未来が見えるのです。
こうなりたいという情熱と言えば、井上靖の「あすなろ物語」の一節が大好きです。
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと
一生懸命考えている木よ。
でも、永久に檜にはなれないんだって!
それであすなろって言うのよ」
私自身が、長い年月かけても、叶えられない夢を持ち続けていて、
時々、挫けそうになって、
翌檜や桜以外の人間の仲間が欲しいと思うから、
何らかのセンサーが感知して、見えない未来が見えるのかもしれません。
そういえば、友達は、翌檜や桜のような人が多いです。
「なろうとして、けして立ち止まらない」
2020年は、仕事や私生活で、還暦を過ぎてもなお、翌檜のように生きている方との出会いがありました。
コロナ禍においても海外を拠点とした会社で利益を出し続け、さらに10年後の夢や理想を語る経営者の方や、
自分の使命と真摯に向き合い、次世代に良い影響を与えたいと一生懸命に活動するフリーランスの方など。
時には、叱責されながらも、その情熱、懐の深さに触れて、自分の未熟さを痛感しました。
年齢は関係ありません。
「今ここにない未来を信じて、明日はなろう」とする人は、強く人の心を惹きつけます。
私もそうなれるように、また、挫けずに、1年頑張ろうと思います。
近い未来に、具体的な話を胸を張って書けるように。