幼稚園からの同級生が「宇宙ビジネス」に関する本を出版し高い評価を得ている。
ポチッとしようとした瞬間、
「前から思っていたんだけど、母が通っていたのは中高一貫の名門私立とかじゃないよね。同級生みんな凄くない?」
「人口3万8000人の市立中学だけど・・そう言われるとそんな気もする」
小学校の同級生には、オリンピック日本代表選手が2人いる。1人は引退後も世界的に活躍している。
その影響なのかなと。
自分は凄くないですが、
2人からもらった大切な贈り物について少し振り返ります。
競技はフィールドホッケー。
競技人口は世界で3,000万人なので、サッカーや野球に比較すると、まだまだマイナーなスポーツなのかもしれません。
育った市は「ホッケーのまち」として知られ、母校には昭和天皇がホッケーの試合を観覧する写真が飾られていました。
毎年5月に市内4校6チームがそれぞれの小学校の威信をかけた試合が開催されます。
近所の運動神経抜群のお兄さん、お姉さんはみんな選抜選手として活躍し、そのまま続ければ、全中やインターハイも普通に出場する。それが当たり前でした。
そうは言っても、特別に優れた運動能力もなく身体も小さい自分には関係ない話でした。
あの日、あの瞬間までは・・
5月の昼下がり、5年生だった私は、ぼんやりと、6年生の大会を見ていました。
表彰式が始まったところで、今まで経験しとことのない衝動に駆られます。
事もあろうか、男女ともに、自分の小学校の先輩が表彰台にいない、
男女2チーム、計4チームで臨んでいるのに?市内一のマンモンス校なのになんという雪辱。
そこで、どーんと何かが降りてきます。
「私がやる。来年、必ずトロフィーを取り戻す。メダルも戴く。表彰式のコメントは何にしようかな」
もう、めちゃくちゃです。どうした、どうした。
「学校選抜のホッケーは、エリート達で作るチームだから、あなたはお呼びではないんだが。頭は大丈夫なのか」
理性的なもう1人の自分が必死で諭す。
「門徒は開いている。できない理由がない。私はやる」
「剣道はどうするの?インターハイ出れるぞって期待されているんでしょう?」
「両立する。インターハイまで7年。ホッケーは来年。サッカーやミニバス続けてる先輩はたくさんいる」
「だから、それはエリートの・・しかも、6年生は男女ともに負けたし!」
「うるさい!やると言ったらやる。あのトロフィーは私が取り返すのだ!」
一体全体、どこの誰が降りてきたのか・・。
もう1人の自分と同じやり取りを母と交わして、
「大丈夫!母に心配はかけない。怪我は絶対しない。勉強もお手伝いもちゃんとする。何卒お願い致します」
いつものように締めくる。
「分かった!すぐにやめて良いからね!」
「うん!ありがとう!」
やめる?何言ってるんだ。来年の今日、メダルを持って帰るというのに。おかしなことを言う母だ。
こんな感じで、誰かが降りてくると、それはもう、止められません。
そして、夢のような1年がスタートしました。
初日の練習は今でも忘れられない。
学校から直々に声がかかったエリートが8割、自分のような庶民が2割。
アップダウンのある坂道含めた3キロほどのインターバルトレーニングだったと思う。
いきなりこれか!きっつ!心臓が口から飛び出しそうだ。
肩で息をしていると、周囲も同じように、みなぐったりしていた。
エリートでもきついのか・・少し頬が緩む。そこで、先生の口から名言その1が飛び出す。
「おまいらしんどいか!辛いか?苦しいか?なでもな、これ1年続けてみろ。どんな身体になると思う?」
どんな身体・・?まず現れたのはスーパーサイヤ人の孫悟空。うはー!ワクワクが止まらないぞ。
そして、大好きなサウザーが空から飛んできた。
ムッキムキの身体にメダルをかけてもらう自分の姿が浮かぶ。最高ではないか!楽しみすぎる!
間違っている。誰か止めてあげて。
初日からボロッボロになった身体を引きずって、ニヤニヤしながら家に帰った。
母は苦々しい顔をしていたが、怪我はしていなかったので何も言わなかった。
次の日、ウキウキしながらグラウンドに行くと、みんな辞めてしまって、庶民は自分とあと1人だけだった。
こんな素敵なチャンスをなぜ無駄にするのか。不思議に思いながらスティックを握りしめた。
ドリブル、パス、シュート、庶民なんだから、エリートと同じように練習しても意味がない。
日が暮れるまで学校で練習して、家に帰ってからも、基礎を繰り返した。
夢中で練習しているうちにあっという間に夏が来た。この頃はとにかく楽しくて仕方がなかった。
先生を相手にシュート練習をしていた時だった。
その日はうだるような暑さで、限界はとうに超えていた。昭和の部活は基本水が飲めない。
これ外したら次やる気力も体力もないな。多分気を失って倒れる。そんなことを思いながらドリブルでゴールに向かう。
かわされそうになった瞬間。いやだ。これ決める。絶対決める。いやだいやだいやだいやだー!
気がついた時には、先生ごとゴールに押し込んでいた。
およそ2倍以上の体重差。ボールと先生はすっぽりゴールにおさまっていた。
やったぜ!これで一抜け!いや待て、先生は無事なのだろうか。
最初は放心状態だった先生は、我に返り、私の目を真っ直ぐに見て、飛び切りの笑顔を見せた。
こんな子いたのか・・やるやん!多分そんな感じ。
男女合わせて30人。やっと先生の目に止まった!これが、無口で地味で小さな自分の最初の見せ場だったように思う。
それから秋の新人戦が終わり、あっという間に冬がきて、3月になった。
狂ったように練習を積み重ねてきたおかげで、試合では、相手の動きが止まって見えるようになった。
パスの位置も感覚で掴めるし、シュートを外すことも滅多になかった。
「じっちゃん、オラ、強くなってる?」
いや、目的はあくまでトロフィーの奪還。
謙虚に行こう、最後まで気を抜くまい・・。
そんなある日、3ヶ月後に控えて、メンバーが正式に発表された。
私はなんと1軍のキーパー、しかも、他のメンバーと違って自分だけが固定だった。
正直ショックだった。
待て待て!勝つために練習してきたんだ。シュートを何万本打ち込んだと思っているんだ?
何故に私がキーパーなのか・・。
撫然とした気持ちが拭いきれないまま試合にでる。私の前を守るバックスこそが、後のオリンピック日本代表、ゆうちゃんだった。
ゆうちゃんは当時からキレッキレで、バックスであるにも関わらず、稲妻のようなシュートを決めたかと思えば、光の速さでゴールに戻る。
指示も的確で、ゲーム運びも完璧。
練習試合では、私が働く必要は全くなかった。ボールに一切触らなくてもチームは勝っている。
これはこれで、なかなかに辛かった。まず、怖い。とても怖い。1回のミスが致命傷になる恐怖。
練習の成果が試せない恐怖。
今のようにYouTube動画などあれば良いが、当時は先生もキーパーに関する知識はほぼない。
何をどうすれば上手になれるのか。検討もつかないなかで、不安を払拭するために、プロテクターを付けた状態で自分の体をいじめ抜いた。
日々の練習で恐怖や悔しさを口に出したことは一度もなかったが、
そんな私の弱さを見抜いていた人がいた。
それが男子のキャプテン、もう一人の後の男子日本代表の日向くんだった。
彼は時間があれば自分のところにきて、いきなり何本もシュートを打ち込み、
「おい、ヘボキーパー。お前なんかさ、どうせボールに触らなくても勝てるんだから、いてもいなくても同じだよな。キティちゃんでも置いとけば?」
「なっ、なにを?」
悔しさと悲しさで視界がかすむ。なんでそんなこと彼に言われなければいけないのか。
そんなこと、自分が一番わかっているのに。
でも、立ち止まるわけにはいかない。自分にはトロフィー奪還という使命がある。誰にも頼まれてないけど。
泣いたら仲間が心配する。そう思って歯を食いしばって聞き流した。
絶望ばかりでもなかった。
雪が残る3月のグラウンドで一人で自主練習をしていると日向くんではなく、先生がやってきて、静かに話し始めた。
「お前は誰よりもうまい。どこのポジションでもだ。それは俺が証明する。でも、お前は誰よりも根性がある。だからキーパーにした。頼むね。寒いからこれ着て風邪ひかないでね」
雪国の春は遅い。先生の上着は小さな自分には大きすぎたが、泣きたくなるほど温かかった。
本当は子どもなりに分かっていた。本番まで3ヶ月。常に120%の力を振り絞って練習してきた自分と比較して、他のエリート達はそこまでの熱量で練習していない。
つまり、伸びしろがまだある。ここから爆発的に伸びる可能性を秘めている。分かっている。そんなこと分かっている。
それでも、現実を受け入れるのは本当に辛くて苦しかった。
自分のシュートで、パスで、ドリブルで。
何本もシュートを打ち込んで、あのトロフィーを奪還したかった。
ただ、それだけのために、心臓が壊れるほど毎日走ってきたのに。誰よりも早くグラウンドに立って、誰よりも多くのシュートを打って。自主練も欠かさなかったのに。
拳を握りしめた。血が出そうだった。今、決めなければいけない。決めたら、進まなければいけない。そして、約束は守らなければいけない。
「はい!わかりました!」
真っ直ぐに先生の目を見て答えた。先生のほっとした表情を見逃さなかった。
嘘が下手な人だと思った。子どもを舐めてはいけない。何だってお見通しだ。
でも、その真心が嬉しかった。事実はどうあれ、先生がそうだと言ってくれるならば、それを信じ抜いて、役割を全うしようと思った。
そこからの日々は、さらに、記憶がない。日向くんだけでなく、2軍の女子メンバーからも、なかなかに辛辣なことを言われ続けた。
自分に果たすべき役割がある。いちいち反応している暇などない。そう思って学校では全力で聞き流した。
そして、夜寝る前に思い出しては、布団に入って、キティちゃんを抱きしめて泣いた。プレッシャーに押しつぶされそうなのに、外野の声がさらに胸を掻き乱す。
仲間の優しさと「お前が一番根性がある」先生の言葉だけを抱いて眠りについた。
そして、試合当日。優勝はできなかったが、トーナメント選を勝ち抜き、見事に、トロフィーを奪還し、胸にはメダルがかけられた。
やっと終わった。描いた未来に追いついた。ただただ、安堵した。
その後、全国大会を経て、ようやくホッケーに没頭する日々が終わった。
何気なく、校長室の前にある展示ケースのトロフィーを眺めていて、恐ろしい事実に気がついた。
優勝した男子のトロフィーは3倍以上の大きさがある。
「ああ!なんてことだろう。伝統に恥じぬ戦いをしたはずなのに、トロフィーの大きさとメダルの色について何も考えてなかった。これって、かなり重大な過失なのでは」
威勢はいいくせに、肝心なことが抜けがちな自分の性格は分かっているつもりだったのに、これは、かなりの失態だ。子どもながら膝から崩れそうになった。
そして、考えた。もし、あの時、
「お前なんかいなくても、キティちゃん置いとけば良くない?」
そう、日向くんに言われた時、
「キティちゃんのままでは困るから、もっと上手になりたいから、打ち込みの相手をしてくれないかな」
そう言えば良かったのではないのか。
日向くんは後のオリンピック日本代表だぞ。女子の監督も務めている。
私は彼が大嫌いだったが小学生の頃からそれはそれは凄い選手だった。
そんな彼に10本でも、1000本でも、1万本でも打ち込んで貰えば、きっと、もっと上手になっていたに違いない。
そして、決勝ですり抜けていった2本のゴールを守りきれたかもしれない。
メダルの色も変わっていたし、トロフィーの大きさも違っていたかもしれない。
全国大会では、もう少し、何とかなっていたかもしれない。そう思って、また、泣きたくなるのをグッと堪えた。
そう、きっとそうなんだ。
Facebookのタイムラインが流れるたびに、時が戻る。
「キティちゃんでも置いとけば良くない?」日向くんの声がする。
ゴールをすり抜けていった鈍い音とともに、負けた悔しさが蘇る。
「お前は1番根性がある」先生の声、仲間達の優しい笑顔、もっと上手になりたかった、もっと練習して役に立ちたかった。
1点も許したくなかったのに。あんな思いは2度としたくない。
唇を噛み締める。そして、今日をもっと良く生きたいと切に願い、次の一歩を踏み出す。
そうだ、やはり、日向くんの仕業だ。ほんのひと時、ホッケーという限られた時間と場所で戯れた自分ですら、このざまだ。
彼と多くの時間を共にした、同じチームの仲間やクラスの男子達は、もっともっと大きな影響を受けているに違いない。
世界で一流の仕事をして、責務を果たし続ける彼の姿をFacebookで目にするたびに、追いつき追い越したいと思うだろう。
それぞれの持ち場で、日々の熱量をあげていく、そんな積み重ねが、
「なんか母の同級生凄くない?」
につながっているのかもしれない。
さて、あと少し続けます。
本当に私はキティちゃんだったのか?今になって思う。
当時は本気でそう思っていました。
そして、仲間のために上手になりたいと願ってもがき苦しんでいた。
でも、例えば、自分がキャプテンでバックスのゆうちゃんだったとして、自分の後ろに、自分と同じかそれ以上に勝ちたいと願っている仲間が、自分と同じかそれ以上の時間を練習に費やしてきた仲間が控えていたら、
こんなに頼もしいことはないのではないか。
同じクラスなのにほとんど話したことがなかったが、試合ではゆうちゃんはいつも優しかった。
1本ゴールを守っただけなのに、そのたびに、チーム全員で取り囲んで、
「ありがとうね、本当にありがとう。これ入れられたら、私たち2点入れないと勝てなかったよ。ありがとう」
「そうだよ。よく守ってくれたね」
そうだ、この温かい仲間の言葉があったから、どれだけ怖くても、苦しくても、コートに立ち続けられたんだ。
上手いとか下手以前に。信頼や絆がそこにはあったのではないか。
もう少し、自分に優しくなって誇りを持っても良かった気がする。
そして、1年間の練習を経て、サウザーのようにムキムキになることはなく、長距離が得意になり、マラソン大会の順位が上がったとか、まあ、身体そのものは、特に変化はありませんでした。
現実はこんなもんだよな・・
そして、中学校に入学した日、怖い先輩数人に呼び出されます。
「試合で何度か会ってるよね。当然、部活は剣道部だよね。待ってるから絶対来なさいよ」
「はあ?この子ホッケーやってるの知らないの?うちのキーパーなんだから、剣道部に入るわけないじゃん」
2年生の先輩が睨み合います。
やばい。スポーツ漫画じゃないか・・。
まさか、こんな自分に、こんな奇跡が訪れようとは。
「ちょっと、何涙ぐんでるの?剣道やるんだよね」
努力は人を裏切らない。サウザーやスーパーサイヤ人にはなれなかったが、ただ、ただ、嬉しかった。
きっと、誰もが、決められなかった1本のシュート、
守れなかった1本のゴール、口にできなかった一言を悔やんでいる。
大人になっても消えることなく鮮やかに胸をえぐる傷跡がなくなることはない。
今だって、悔しすぎて涙が滲む。
でも、その傷跡があるから、優しくなれるし、強くなれる。
メディアに出たら偉いとか、成果物がどうとか、キャリアがどうしたとか、そういう話ではなくて。
今、ここに生きている、生まれてきて良かったと思える瞬間を積み重ねていくことが、昨日の自分を追い越すことが、何より大切な気がします。
それを教えてくれたゆうちゃんと日向くん、仲間と先生に今でも感謝しています。
常軌を逸した11歳の自分をいつまでも越えられずにいましたが、
なんとなく、最近、あの頃の感覚が戻っているが嬉しいです。
今度こそ、サウザーになれるかも!