慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

turn over?

自分には器以上で、震えながら挑んできた幾つかの仕事が終わりました。

あっという間に年末なので保留にしていた内容を振り返ります。


2023年夏休みの記録 ヤモリのその後
生き物係から託されたヤモリ。結論から言うと夏休み中に亡くなりました。それも、子どもがコンクールの副賞として参加した3泊4日の旅行中に。私は人や動物の死期が分かるので前日から覚悟はしていましたが、命が尽きたヤモリを見て胸が張り裂けそうになりました。その日は、日吉で友達と会う約束をしていたのですが相当動揺していたと思います。全てを察していつも通りに接してくれた友達の気遣いが身に沁みました。

1人になれる場所を見つけて子どもみたいに泣きました。どんなに泣いても戻ってこない。どうして別れはいつもこんなに辛くて苦しいんだろう。

次の日、羽田空港で4日振りに会った息子を前にして言葉が見つかりませんでした。途方に暮れながら車に乗り込んだところ「僕から言わなきゃダメか。もしかして、ヤモリ死んじゃった?」「なんで分かるの?」「そんな顔してたら誰でも分かるわ。これだけは忘れないで。お母さんのせいでは絶対にないから」こうやって子どもは親を超えていくのかなと思いました。


富山に帰省する際に担任ではないのに善意で育ててくださった先生、ホームセンターの爬虫類コーナーで「本当は選別禁止だけど特別だからね!」と小さいコオロギを取り置きしてくれた店員さん、ギガ端末でヤモリの飼い方を細かく教えてくれた生き物係さん、日経ソーシャルデザイン集中講座でヤモリを気にかけてくださった先生方、延々続くヤモリ話を根気強く聞いてアドバイスをくれた友達、本当にありがとう。でも、ごめんね。結局だめだった。

ほぼ毎日撮ったヤモリの写真をもとに観察日記を作成しました。担任の先生の心遣いで子ども達の自由研究と一緒に展示されることになりました。ヤモリのお墓も校庭の桜の木の下に作ってもらいました。落ち込んでいる私のために二代目のヤモリを検討しているという有難い話も頂きましたが丁重にお断りしました。子ども達の温かい心が嬉しかったです。

今でもヤモリは時々夢に出てきます。もっと上手に飼っていたら生きていたのにと思うと苦しくて仕方がありません。そろそろ前を向こうと思います。

「いずれ全て失うことを分かっていながら、守るべきものを増やすのは耐え難い」という理由から、自から生き物を飼うことはありませんでした。

他人の価値観は否定しないですが、生き物を飼う意味が実のところよく理解できていませんでした。今回のヤモリを通じて、少しですが理解できる気がしました。

全て失うことが分かっているからこそ一瞬が輝くのです。それは動物だけでなく人間も同じで。怯えてばかりいないで、一歩踏み出そうと思います。ヤモリを通じて出会ったたくさんの人達の愛ある言葉は忘れません。

この夏はいろいろあって精神的に追いめられるようなことの連続だったのですが、振り返るとヤモリとのフワフワとした幸せな瞬間ばかりが甦ります。過ごした時間は一生忘れません。大切なものを守り抜くために泣いたり笑ったり真剣になったり。こんな「夏の大冒険」みたいな日々を積み重ねていけたら最高なのかもしれないなと思いました。

ただ、この件は美談では済まされない重篤なインシデントも孕んでいて、それはそれでずっしり堪えました。ヤモリを生かすことに集中するあまり本質を間違って捉えてしまった代償は大きく自分の甘さや未熟さを痛感しました。大人の大冒険は綺麗事では終わらないのであります。

長くなってしまったので、資格や勉強の話はまた今度・・そんなこと言ってるうちに年越しそう・・