慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

星の王子さまとアリラン・ラプソティ

すっかり秋めいてきました。

ちょっと、
腹を括ってやるべき仕事があるので、

約100年を振り返って、
前を向きたいと思います。

きっかけは、ある映画のボランティア募集でした。

https://rarea.events/event/199937
金聖雄監督『アリランラプソディー』
在日コリアンの集住する桜本地域に集い、老いの今を力強く生きるハルモニたちの生活に寄り添いながら思いを描いた作品


息子は元気いっぱい手をあげました。
「僕、やります!やらせてください!」
そこから全てが始まりました。

「どんな映画か分かってるの?」
「もちろん!僕頑張るから!」

この子はハルモニの何を知っているんだろう?

第二次世界大戦の本をよく読んでいるし、
歴史的な背景が気になるのだろうか・・。

あまり深い話もせず、
手帳を開き、
上映日の8月15日に印をつけました。

ところが、上映2ヶ月前になって、息子にどうしても断れない予定が入ってしまいました。

約束は守らなければ・・当日は、息子に代わって、受付など上映のサポートをしながら、作品を見せてもらうことができました。

大袈裟ではなく魂を撃ち抜かれました。

自分のなかの欠けていた、最後のワンピース。
永遠に見つからないと諦めていたピースが見つかったのです。

涙が溢れて止まりませんでした。


私の父方の祖母は、戦争孤児で半島の方の血が流れています。

生まれて間もない祖母を曾祖母が川崎で引き取って富山で育てました。

それ以上の情報はありません。

祖母はマリーアントワネットと呼ばれていました。

「綺麗なお母さんですね!」
「おばあちゃんなんです。この子は孫です!」

透けるような白い肌。溢れる笑顔。
キラキラとしたピンクのニットがよく似合う。
祖母がいるだけで、パッと空気が華やぐ。

そんな人でした。

ただ、明るく華やかな印象とは対照的に、どうしようもない闇を抱えていました。

埋められない寂しさを紛らわすように、お酒に溺れたり、浪費や虚言癖が治らなかったり、とにかく手がかかりました。

明治生まれで、自分のエゴなど微塵も見せない母方の祖母とは大違いでした。

nnaho.hatenablog.com


家族のほとんどは諦めていましたが、祖父と私は、いつか祖母の闇が晴れる日がくると信じていました。

子どもにできることは限られています。

ひたすら話を聞くことにしました。

「私はお義姉さんに比べて器量が悪かったから。だから、全然、可愛がってもらえなかった」

小2の孫を前にシクシク泣く祖母。

普通は育ててもらっただけでもありがたいって思うはずなのに。

祖母はどれだけ辛い思いをしてきたのだろう。
どんな痛みを抱えているんだろう。

「なに言ってるの?みんなおばあちゃんのこと若くて綺麗って言るから!」

「そうかな?ゆいちゃんはそう思う?」

祖母を抱きしめる。

ああ、ダメだ。

この人の心には大きな穴が空いていて、
どんなに愛を注いでも、そこから漏れてしまうんだ。

服を買っても、家を買っても、家族を持っても。
みんなにどれほど羨ましがられても。

どれだけ愛されても、絶対に満たされない。
穴を塞がない限り終わりがない。

何か穴を塞ぐ秘策はないものか・・。

そして、大学生になった頃、原文で「星の王子さま」を読む授業で運命の出会いを果たします。

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6306

そう、あの赤いバラです。

「そうなの」花は甘い声で答えた。「お日様といっしょに生まれたのよ、私 ・・・」
あまり控えめじゃないな、と王子さまはすぐに気づいた。それでも花はとても感動的で、とても刺激的だった。

花はすぐに続けて言った。「朝食の時間じゃないかしら。私に必要なものを思いつ いていただけないかしら?」
また、こうしてすぐに花はうぬぼれて――それは実のところ、ちょっと扱いにくかっ たのだが――王子さまを困らせるようになった。

「花 の言うことなんて聞いちゃいけない。ただ見たり香りをかいだりするだけでいいんだ。 あの花はぼくの星をいい香りにしてくれた。でも、ぼくはそれを楽しめなかった。」

なんだこのバラは!祖母そのものじゃないか!
赤いバラのトゲが無くなる日なんてきっと来ない。

そして、祖母の虚言癖や浪費癖、周囲への不平不満がなくなる日も来ないだろう。

一瞬で世界をピンク色に変える華やかな祖母を、そのままの祖母を愛していこう。

そうは言っても、辛い現実でした。

行き場を失った悔しさは、ある人に向けられました。
そう、祖母の産みの親です。

如何なる事情があったとしても、我が子を手放すなんて。

おかげで祖母は、今、この瞬間も寂しさに震えている。
そして、誰も助けてあげられない。

なんてことをしてくれたんだ・・。

その人の血が自分にも流れているなんて。
納得がいかなかった。

どれほど残酷な現実でも構わない。真実が知りたい。
それが、私が探していた最後のワンピースでした。

映画のハルモニに、祖母の産みの親が重なりました。

祖母が生まれたのは1930年、終戦まで15年、1952年のサンフランシスコ講和条約とともに日本国籍を失うまで約20年。

年表は頭に入っていたけれど、在日コリアンであるハルモニたちが生きた時代は想像以上に過酷でした。

そこで、気が付きました。

私も同じ選択をしたに違いないと。

戦争に終わりが見えないのだから、都心よりは田舎で暮らした方が生き残る可能性ははるかに高い。

曾祖母は商才に長けていたから、戦禍でもある程度の生活は保証されている。

誰でも良かった訳じゃない。
曾祖母だから託したのだ。

胸に抱いた大事な命を。大切な人との愛の結晶を。
私生児で日本人でない我が子を
何を犠牲にしても、守り抜きたかった。

それが、祖母を手放した真意に違いない。

そして、彼女は「自分」を犠牲にしたのだろう。

戦争が続く限り辛いことの方が多い。
「本当のお母さんに会いたい」
そんな甘い幻想を抱いて川崎に訪ねてきたら全て水の泡だ。

恨んでも、憎んでもいい。
その悔しさを力にして、生きて欲しい。

そして、私が彼女なら、こう言っただろう。

「自分に関する一切の情報を与えないでくだい」

それを曾祖母は守り抜いたのだろう。

「子どもを捨てるなんて酷い女だ」

他人は何とでも言えばいい。

虚勢を張って日々を生きながら、
陰で泣き崩れる姿が微かに見えた。

それって、あなたの妄想ですよね。
証拠は?詰められたら、返す言葉もない。

それでも、確信があった。

心の中で、彼女に呼びかけた。

本当は辛かったんでしょう。
ずっと苦しかったんでしょう。

でも、あなたの選択は間違っていなかったよ。

あなたが手放した最愛の娘は、
田舎で不自由なく暮らして、
空襲はあったけど何とか逃れて、

星の王子さまのような人と結婚して、
朝から晩まで文句ばっかり言ってたけど、

言葉を失うほど笑顔が素敵で、

病気ひとつせず、
今も、100歳を目指して、
みんなに愛されて生きているよ。

これって、あなたが起こした奇跡なんじゃないの?

「いや、時代を読めばそうするでしょ。当たり前のことだから。別に泣いてないし」

彼女の乾いた声が聞こえた気がした。

そう、そういうとこだって。

何でも自分だけで抱え込むところ。
直観が冴えていて、未来が綺麗に見えるところ。

感情表現が苦手で、言葉が足りないところ。
泣き顔ひとつ見せず潔く身を引くところ。

私のなかのど真ん中に。

あなたがいる。

1人で辛かったね。
もう、意地はらなくていいから。

本当は知って欲しかったんでしょう。
誰かの前で泣きたかったんでしょう。

何を言えばあなたの心は癒えるのだろう。

命をつないでくれて、ありがとう。

ふわっと優しい気配がして、あっという間に消えた。

何日かして、母から電話がかかってきた。

「おばあちゃんが大変なことになった」

「・・・何処か悪いの?施設でまだ誰かと喧嘩した?」

「いや、元気いっぱいなんだけど。ご飯はとっても美味しいし、みんな優しいし、私は本当に幸せ者ですって」

「それ、誰が言ったの?」

「いや、だから、あなたのおばあちゃん」

「・・・」

「大丈夫?え?泣いてるの?」

「泣いてない」

こんな日がくるなんて。
ついにトゲトゲがなくなったの?

ぼろぼろと涙が溢れ続けた。

「じゃあ、秘密を教えるよ。とても簡単なことなんだけどね。ものごとは心で見なきゃ、 ちゃんと見えないんだよ。いちばん大切なことは目には見えないんだ」

こうして、彼女と私の100年続いた戦争は、終わりました。

いやいや、終わりではない。

彼女のような人達の苦渋の決断と、
幼くして愛を失った祖母のような人達の
犠牲と悲しみ、不断の努力のうえに今がある。

歴史や戸籍に刻まれることのなかった人達の
息遣いを後世に伝える役割があるに違いない。

「ええっ!そういう背景があって、映画のボランティア良いよって言ったの?」

「いや、全然。でも、映画を見ていたら思い出したというか・・。点と点がつながったというか・・。あーでも、いろいろな人がいるから、今の話は内密に」

「なんで?僕は誇りに思うよ。純血が普通なんて日本くらいだよ。それに、そもそも、日本人はもともと住んでいた縄文人とアジア圏から渡来した弥生人の混血でできた民族だし。」

ぐぬぬ・・・」

「それより、その人どうなったのかな。その後、新しい家族ができて川崎で暮らしていたのかな。そしたら、血のつながった人が川崎の何処かにいるのかな」

目を輝かせて何やら調べ始めた。

彼女が笑っている気がした。

次の100年を。

バトンを受け取った
5走目の子ども達をサポートしながら、
愛ある世界に傾けていきたい。