夏休み最終日、コーラを飲みながら
「今年の夏はよく頑張った!人生で2番目に頑張った」
と酔っぱらっていたら子供がやってきた。
「人生で2番目?1番はいつなの?」
「小5。11歳」
「うわー随分昔。なんで?理由は?」
「死ぬ気でホッケーやってたから」
「死ぬ気とか。大袈裟な・・」
「あなたは身体が大きいから分からないと思うけど、接触スポーツで身体が小さくて運動能力も普通だと圧倒的に不利なの。誰よりも練習するとか、1番上手くなるとかは大前提で、プラス何かが必要なの。極寒、酷暑、荒天で絶対に折れない精神力とか。夏こそ最大のチャンス!って張り切ったんだわ」
「・・・誰の話?」
「わ、私ですが・・」
11歳の夏には届かないけれど。
全速力で駆け抜けた夏が終わった・・。
始まりは夏休み前日。
浮かれた空気が玄関から侵入する。
「ただいまー!うちでヤモリ飼ってもいい?」
「え・・ヤモリ?ヤモリー!!!」
「な、なんでうちでヤモリ飼わんといかんの?」
「生き物係のヤモリなんだけど、夏休み中誰も飼えないんだって。可哀想だなって思って」
「可哀想って・・。餌は何なの?」
「生きたバッタ」
「あなたが毎日捕獲するの?」
「うん。でも、僕はあんまり虫が得意ではない・・」
ヤモリと目が合う。
状況からして学校に差戻しは無理だろう。
受験もあるし他の子の家で飼えないのは納得できる。
私以外、家族で虫を触れる人間はいない。
この小さなヤモリの生存与奪の権を自分が握っているのか。思うところはあるが腹を括った。
「うちで飼おう。そのかわり餌の確保は責任を持ってやって。網とかあれば捕れるでしょう。そして、私が食べさせる」
「わーい!ありがとう!」
そこから2日、予定が詰まっていたので、家族に事情を説明して餌の調達は全面的に任せた。
ようやく一息ついた夜、餌は確保できたにか子どもに確認すると、
「バッタは獲れそうにないから、コオロギペーストをAmazonで頼んでもらった」
「それいつ届くの?」
「3日後」
「ヤモリがうちに来て3日目だよ!野生のヤモリは生きた虫しか食べないんだよね?コオロギペーストなんか食べるの?保証はあるの?しかも3日後?」
「保証はないけど、それしかないってお父さんが・・」
怒りがこみ上げた。
「あなたは命を何だと思ってるんだ!誰も引き取らなかったらヤモリは死んでしまう、可哀想だからというあなたの優しさは否定しない。素晴らしいと思う。それ以外のそれほど美しくはない政治的な意図も親だから何となく分かる。それも否定しない。でも、全部、命を守ることが前提なんじゃないの?保証はないけどって何寝ぼけたこと言ってるの?」
「だってどうすれば良いか分からない・・」
泣きたいのはお腹を空かせたヤモリだってば。
市内のホームセンターに問い合わせて、餌にするコオロギが購入できる店を見つけた。幸いぴったりのサイズのコオロギを扱っているようだ。
「今すぐコオロギ買いに行くよ」
「えっ、それってヤモリの餌になるんだよね。買ってきたコオロギをあげるの?可哀想だしどんな気持ちでコオロギと接したらいいの?」
「・・・あなたは牛肉も鶏肉も食べるよね。それを育てている人が必ずいるよね。飼育してる人達は、どうせ人間に食べられちゃう牛や鶏だからっていい加減な気持ちで育ててるのかな?違うよね。はなちゃんとか名前付けて大事に大事に育てるんじゃないの?」
子どもの目に光が宿った。
「分かった!餌のコオロギはうちで大事に育てる。そして、ヤモリはもちろん可愛がる」
「そう!それでいこうぜ!」
なんだか人生で初めて親っぽいことを言った気がする。
少し照れながら子どもと電車に乗った。
長くなったので前編はここまでです!