とにかく疲れていた。
これ以上やったら壊れる。
全部、リセットしようと決めた16歳の春。
進学校で部活も強い。
大好きな剣道でインターハイを目指す。
狂ったように勉強してようやく入学した高校だった。
全国区の先輩たちは、同じ人間とは思えなかった。
わずかに剣先が触れただけで、吹っ飛ばされる。
異次元。
1年だけ喰らいついてみたけど、ダメだった。
部活をやめた。
もう、何もかも、どうでもよかった。
田舎には歓楽がない。
学校には毎日通っていたけれども、
朝から晩まで本を読んで日々をやり過ごした。
大和に出会ったのは、そんな時期だった。
数学の授業は、出席番号順に問題が割り振られる。
解く気はないし、そもそも、解けない。
でも、黒板に解答を書かなければ、クラスみんなの迷惑になる。
「大和さん、数Ⅱのノート見せてもらってもいい?」
「いいよ!」
大和の成績は学年トップクラス。
文系クラスにいながら数学がずば抜けていた。
勉強だけでなく、人間的にも魅力に溢れていて、大和の周りはキラキラして眩しかった。
誰にでも優しくて、何事にも一生懸命。おまけに、ユーモアもある。
美人や可愛いではなくおしゃれな顔。
完璧だった。
人生の終わりなき夏休みに入った私と、今を生きる大和に接点などない。
「数Ⅱのノート見せてもらってもいい?」
「いいよ!」
ひたすらこれを2年間繰り返した。
ノートを渡す時、大和はいつも嬉しそうだった。
16歳の私は、ひたすら甘えた。
大和のノートには、すべての問題に対する別解が記されていた。
それは、いつもエレガントかつ簡潔。
その文字列の美しさにいつも息を呑んだ。
書く量が少なくて楽だから、いつも別解を写す。
授業が始まる。
今日も、大和の別解を黒板に書く。
「おーい!これ解いたの誰だ?」
「はい!」
「おうおう、お前か!ということは、解いたのは大和でいいのかな?」
「そうです!」
「大和!これ、別解以外の正攻法は当然分かってるよな」
「はい!」
「しかし、まあ、よく、これ思いついたな。これで解いたやつおるか?」
唸る先生。
チラリと、大和を見る。
目をキラキラさせて、頬を高揚させている。
生きる躍動感に溢れてた、その横顔にただ見惚れる。
この無機質な数字の羅列がそんなに面白いのか。
なぜそこまで夢中になれるのか私には全く理解できない。
でも、きっと大和には見えているんだろう。
この数式のなかにある、そして、ここから始まる世界が。
次に大和の名を耳にしたのは、進学を機に故郷を離れて数ヶ月が過ぎた頃だった。
祇園祭を控えて街は浮き足立っていた。
三条大橋で信号待ちをしていたら、京大に通う高校の同級生の姿が目に入った。
京都市民だけで約150万人。観光客も含めたらどれくらいの人が京都にいるんだろう。
同じ高校から京都の大学に進学した同級生は10人もいない。
ここで会うとは何という奇跡。
それはそうなんだけど、彼と話すことは特にない。
挨拶もそこそこに立ち去ろうちした時、大和の訃報を告げられた。
大和と仲が良かった彼は完全に憔悴しきっていた。
かける言葉もなく、彼の話にただ耳を傾けた。
よみがえるのは、大和の別解を黒板に書き続けた日々。
最初は行数が少なくて楽だから別解を書いていた。
でも、最後の方は、大和の笑顔が見たくて、わざと別解を書いていた。
美しく並んだ数式。ニョロリとした、お洒落な文字。
この人は、いつか世界に飛び出していくんだろう。
エレガントな別解をあらゆる分野に応用して。
そう信じていた。
それなのに。
「ゆいちゃんは、まだ休む感じ?」
穏やかで、明るい声が聞こえた。
頭を強く殴られた気がした。
そこから、また、狂ったように勉強を始めた。
2年も休んだ。もう充分だ。
1日16時間は勉強した。
勉強は、やればやるほど、楽しかった。
そして、再度受験した志望校に合格した。
大学時代も、就職してからも。
いつも、大和がそばにいる気がした。
そういえば、私は大和のこと、何も知らない。
家族構成も、好きだった人も、夢も。
でも、大和が別解を先生に解説している時の、あの表情。
至福の笑顔。
数学でなくていい。
なんでもいい。
私も大和みたいな表情で生きていきたい。
嫌々やったって仕方ない。
上手くいかなくても。苦しくても。辛くても。
無我夢中で取り組んでいれば、きっと道は開ける。
もし、16歳の春に、大和からノートを借りなかったら。
18歳の夏に、あの日あの時間に、三条大橋を渡らなかったら。
私の人生は長い夏休みのままだったかもしれない。
次、会った時には「ありがとう」と伝えたい。