慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

大和の別解

とにかく疲れていた。

これ以上やったら壊れる。

全部、リセットしようと決めた16歳の春。

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進学校で部活も強い。

大好きな剣道でインターハイを目指す。

狂ったように勉強してようやく入学した高校だった。

全国区の先輩たちは、同じ人間とは思えなかった。

わずかに剣先が触れただけで、吹っ飛ばされる。

異次元。

1年だけ喰らいついてみたけど、ダメだった。

部活をやめた。

もう、何もかも、どうでもよかった。

 

ドストエフスキーカミュスタンダール

田舎には歓楽がない。

学校には毎日通っていたけれども、

朝から晩まで本を読んで日々をやり過ごした。

 

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大和に出会ったのは、そんな時期だった。

数学の授業は、出席番号順に問題が割り振られる。

解く気はないし、そもそも、解けない。

でも、黒板に解答を書かなければ、クラスみんなの迷惑になる。

「大和さん、数Ⅱのノート見せてもらってもいい?」

「いいよ!」

大和の成績は学年トップクラス。

文系クラスにいながら数学がずば抜けていた。

勉強だけでなく、人間的にも魅力に溢れていて、大和の周りはキラキラして眩しかった。

誰にでも優しくて、何事にも一生懸命。おまけに、ユーモアもある。

美人や可愛いではなくおしゃれな顔。

完璧だった。

人生の終わりなき夏休みに入った私と、今を生きる大和に接点などない。

「数Ⅱのノート見せてもらってもいい?」

「いいよ!」

ひたすらこれを2年間繰り返した。



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ノートを渡す時、大和はいつも嬉しそうだった。

16歳の私は、ひたすら甘えた。

大和のノートには、すべての問題に対する別解が記されていた。

それは、いつもエレガントかつ簡潔。

その文字列の美しさにいつも息を呑んだ。

書く量が少なくて楽だから、いつも別解を写す。

授業が始まる。

今日も、大和の別解を黒板に書く。

「おーい!これ解いたの誰だ?」

「はい!」

「おうおう、お前か!ということは、解いたのは大和でいいのかな?」

「そうです!」

「大和!これ、別解以外の正攻法は当然分かってるよな」

「はい!」

「しかし、まあ、よく、これ思いついたな。これで解いたやつおるか?」

唸る先生。

チラリと、大和を見る。

目をキラキラさせて、頬を高揚させている。

生きる躍動感に溢れてた、その横顔にただ見惚れる。

この無機質な数字の羅列がそんなに面白いのか。

なぜそこまで夢中になれるのか私には全く理解できない。

でも、きっと大和には見えているんだろう。

この数式のなかにある、そして、ここから始まる世界が。

 



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次に大和の名を耳にしたのは、進学を機に故郷を離れて数ヶ月が過ぎた頃だった。

祇園祭を控えて街は浮き足立っていた。

三条大橋で信号待ちをしていたら、京大に通う高校の同級生の姿が目に入った。

京都市民だけで約150万人。観光客も含めたらどれくらいの人が京都にいるんだろう。

同じ高校から京都の大学に進学した同級生は10人もいない。

ここで会うとは何という奇跡。

それはそうなんだけど、彼と話すことは特にない。

挨拶もそこそこに立ち去ろうちした時、大和の訃報を告げられた。

大和と仲が良かった彼は完全に憔悴しきっていた。

かける言葉もなく、彼の話にただ耳を傾けた。




よみがえるのは、大和の別解を黒板に書き続けた日々。

最初は行数が少なくて楽だから別解を書いていた。

でも、最後の方は、大和の笑顔が見たくて、わざと別解を書いていた。

美しく並んだ数式。ニョロリとした、お洒落な文字。

この人は、いつか世界に飛び出していくんだろう。

エレガントな別解をあらゆる分野に応用して。

そう信じていた。







それなのに。



「ゆいちゃんは、まだ休む感じ?」

穏やかで、明るい声が聞こえた。

頭を強く殴られた気がした。

そこから、また、狂ったように勉強を始めた。

2年も休んだ。もう充分だ。

1日16時間は勉強した。

勉強は、やればやるほど、楽しかった。

そして、再度受験した志望校に合格した。

大学時代も、就職してからも。

いつも、大和がそばにいる気がした。

 

そういえば、私は大和のこと、何も知らない。

家族構成も、好きだった人も、夢も。

でも、大和が別解を先生に解説している時の、あの表情。

至福の笑顔。

数学でなくていい。

なんでもいい。

私も大和みたいな表情で生きていきたい。

嫌々やったって仕方ない。

上手くいかなくても。苦しくても。辛くても。

無我夢中で取り組んでいれば、きっと道は開ける。

 

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もし、16歳の春に、大和からノートを借りなかったら。

18歳の夏に、あの日あの時間に、三条大橋を渡らなかったら。

私の人生は長い夏休みのままだったかもしれない。

次、会った時には「ありがとう」と伝えたい。