慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

春の陣

詳細は書けないのですが、友達の大きな挑戦が見事に成功した。

友達といっていいのだろうか。知り合ったのは僅か半年前。偶然、何度も会う機会があり何時間も話した。

カフェでも居酒屋でもなく、冬の寒空のしたで立ち話。特に、これからの子ども達の教育に関してはとどまることがなかった。あまりにも夢中になりすぎて、彼女の歯科の予約時間を逃したり。

年齢も同じで、進学や結婚した時期も同じ、大人として出会っているのに、話し始めると、セーラー服を着ていた中学生に引き戻された。

そうだ、自分はいつも、彼女のような人がそばにいてくれて、それで、なんとかやってこれた気がする。

子ども時代、自分から手を上げることは絶対にないけれど、頼まれごとを断らないと決めていたせいなのか、キャプテンとかリーダーとか器以上のことを背負ってばかりだった。そして、どれだけ辛くても愚痴や弱音を人に吐くことができなかった。

傷つきやすいくせに、人にも頼れない、四面楚歌で、なかなかにしんどい日々だった。そんな時、自分より難しい現実と向き合いながら、さらなる理想に燃える彼女のような存在こそが、自分にとって癒しであり、たったひとつの救いだった。


ベタついた友達関係は一切なく、時々、一緒に帰ったり、なんとなく立ち話したり。「バレー部揉めてるけど、そういうの、部長としてどうなの?しんどくないの?」「えっ?そんなことより、読んでほしい本があるけど貸してあげようか」「嬉しい!読みます!」バレー部あんなに揉めているのに、そんなことなの?強いなあ。私の直面してる問題はなんて小さいんだろう。とにかく本読んで元気を出そう。その繰り返し。

彼女に会うたびに、そんな昔の自分と思い出が重なった。

さらに、思い出に浸るだけでなく、今ここにないけれど、彼女がつむぎだす世界がはっきりと見えた。彼女は、歴史に名を残すことをやってのけるだろう。しかも、それは、自分や家族など狭い範囲ではなく、社会や未来のため。

みえたらもう、無視できない。

これから先、彼女には、何千、何万という仲間ができるに違いないけれど、それまで。今、この瞬間からそこまでを支えたい。

できることは何でもしたい。

そんな気持ちで駆け抜けた2ヶ月だった。

まさにその期間は、自分自身、最も苦手な人間関係の課題が山積し、仕事や勉強にも追われて、もう無理、もうダメと限界を感じることばかりだった。

それでも、戦国武将のような彼女と話すたびに勇気が湧いた。

なにも命を取られるわけではない。誰かに嫌われたからってそれがどうした?失敗したからってそれがなに?泣くな!動け!背中を蹴っ飛ばされる日々だった。

彼女から「今まで本当にありがとう」お礼を言われたけれど、いやいや、お礼を言うのは自分のほうだ。弱い自分に喝を入れてくれて感謝しかない。

物語は始まったばかりだ。彼女が描いた理想に近づけるように、私も自分のポジションで精一杯尽力していきたい。

そういえば、彼女だけでなく、自分の周囲を見渡してみれば、大人になっても、実力以上の勝負にでたり、夢に賭けている人ばかりだ。その背中をみて、時に会話をかわすことでどれだけ救われただろう。

自分の苦しさや辛さを吐き出すことなく、飲み込みながらも、前向きな気持ちになれたのはそんな友達のおかげだ。大人になるのも悪くない。そんなことをあらためて思わせてくれた日々と彼女に感謝しています。