慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

最後の科目とこれから

目標にしてきた認定心理士まで学科1科目+実習。
最後の課題提出を終えた。

無我夢中で勉強してきた日々は一瞬で、
慶應通信もそうだけれど、
終わってしまうのはとても寂しい。

どうして勉強を続けているの?
と聞かれるとただ照れて、
「好きだから。それに、活字中毒だし」

それはそうなんだけど。
誰にも言えなかった答えがひとつある。

約束を果たすため
最近ようやくスタートに辿りついた。

いい加減、腹を括らなければいけない。
ブレブレの気持ちを今一度立て直したい。

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物心がついた3歳くらいから

世界の果てはどこにあるのか。
時間はなぜ過去から未来に流れるのか。
なぜ、自分はここに生まれてきたのか。

地球儀をぐるぐる回しながら、そんなことばかり考えていた。

幼稚園に入れば、
話せる友達に出会えると信じていた。

健全な幼稚園児はそんなこと興味がない。

がっかりした。

さらに、カトリック系の幼稚園で、お祈りがある。

それは本当に許せなかった。
なぜ何の説明もなくお祈りを強要するのか。

そんなの魂の冒涜だ。

記事にも書いたが、他にも思うところがあり、
2年間、自分のやり方で徹底的に戦った。

しかし、あまりにも辛い日々に疲弊していた。

潮時だ。

これ以上戦っても誰も幸せにならない。
自分の気持ちを一旦捨てることにした。

真面目に幼稚園に通おう。
生まれてくる弟や大事な家族のために。

地に足をつけて、この世界に馴染むんだ。

道路脇にはまだ雪が残っていた。
ザクザクと踏みしめながら決意した。

でもね、覚えておいてよ、悔しい気持ちを。
子供にも明確な意思があるって。
みんなとちょっと違う子供の叫びを、
受け止めらるシステムを作って欲しい。
無い物とカウントして踏みつぶさないで欲しい。

絶対に忘れないで。

戦いは中断するけれど、必ず帰ってきて。
時期がきたらここに戻ってきて。
それがあなたの仕事だから。

未来の自分に託した。
昨日のことのようだ。

大人になって、
自分のような子供は沢山いることを知った。

心理学的にこういった「異界」への興味は前思春期に訪れるものだから、
自分の場合は、単に「早熟な子」
ただそれだけで片付けてもいいのかもしれない。

いや、違う。それが、最悪なんだ。大人が勝手に片付けないでほしい。
ちょっと早熟な子、ちょっと変わった子が経験する、

想像を絶する孤独と不安、絶望、
そして圧倒的な才能にも、しっかり目を向けて欲しい。

正面から向き合って欲しい。

問題児のレッテルを貼られて、親を悲しませるために、そんなことのために生まれてきたわけじゃない。

変人と呼ばれる子どもたちが胸をはって笑える世界に加担したい。

あれから長い年月が過ぎた。

真面目に学校に通って勉強やスポーツに励んだ。

人付き合いはあり得ないくらい苦労した。
そもそも、スタートからずれているんだから。

それでも、周囲の手厚いサポートのおかげで、
孤独を感じることなく幸せに過ごすことができた。

約束を忘れたわけではなかったが、
目の前の世界に馴染むことで精一杯だった。

そんな日々ではあったが、
直観的に、これは突破口になる!と確信する出来事がいくつかあった。

幼い頃から父は、
「もうすぐお金のない世界がやってくるんだよ」
そう言って家族から呆れられていた。
でも、私はワクワクして仕方がなかった。

父の書斎には、ハイエクの「貨幣の非国有化」があったかもしれない。

また、当時エンジニアだった父は頻繁に会社に連れて行ってくれた。
システム物流を担う1980年代の巨大なコンピューター。

ンゴゴゴゴゴゴーン!ンゴゴゴゴゴーン!

大きな唸り声は未来への序章。
ここはそう、センターオブユニバース

当時、上手く言語化できなかったけれど、
テクノロジーは突破口になるに違いない。

限りない可能性に胸が震えた。

しかし、高校生を経て大学に入り、約束は遠のいて次第に忘れていった。

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この志望校というのが、情報学部だった。
猛勉強したが、試験を受けた時点で、そこまでの執着はなかった。

何かに突き動かされている感覚はあったが、それが何なのか分からなかった。

順調に試験を受け、
最後の面接で人生を変える事件が起こる。

準備した志望動機をすらすらと話して安堵していると、
優しそうな面接官が口を開いた。

「君の志望動機は論理的だしすごく良い。でも、僕は違和感を覚えた。もちろん、君が嘘をついているとは思わない」

な、何を言っているの?

「君の言葉で、本当の志望動機を話してくれないかな?」

「本当の志望動機・・ですか」

そう、その瞬間に、幼い自分が足元にやってきた。
すっかり忘れていた。

そうか、あなたがここまで連れてきたのか。

「子ども、子ども達の未来が・・」

言葉にならなくて、もどかしくて、あろうことかその場で泣き崩れた。

「ごめん、泣かせるつもりじゃなかったんだけど」

他の面接官たちの呆れた視線を受けて、慌てふためいていた。

コンピュータ犯罪の最も権威ある先生だと後で知った。

流石だと思う。自分の人生を変えたと言っても過言ではない。

安西先生、この大学で未来の子ども達のためにITが学びたいです」

そうか、それが答えだったのか。
帰り道は清々しい気持ちでいっぱいだった。

いつの間にか忘れていた夢や自分との約束を思い出して笑ってしまった。

「しかし、号泣した時点で合格は無理だな。次行こう!」
気持ちを切り替えて、他大の試験対策をしていると合格通知が届いた。

迷いはなかった。

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結論から言うと、
情報学部で学んだことは、
仕事にも夢にも直接的にはつながっていない。

でも、不思議と焦りは全くなかったし、
膨大なパズルに何十年も日々ピースを入れている感覚だった。

仕事も慶應通信も、日々の生活も。

自分では、伏線が全部つながると信じていたし、

絵は描けていたから、
別に良いかなと思ってここまできた。

学びはエッジでしかなく、終わりがない。
まだまだ足りないという渇望感。

ここまま学び続けるのも幸せな人生ではないか。
コロナ禍もあり、慶應の卒業時には、甘い気持ちにもなっていた。

そんな時、進路の相談をしていたOBが本気で叱ってくれた。

「院進がダメだとは言ってない。でも、あなたは一生蹴鞠をけって遊んでいるつもりですか?」

実学の意味を分かっているのですか?」

目が覚めた。

そうだ、いい加減、あの子を連れにいかなきゃいけない。

奇跡を待っていても仕方がない。自分から起こしにいかなければ。

3年でようやく基盤ができた。
周囲の人には感謝しかない。

具体的なことはまだ書けないけれど。
とりあえず、あの子を迎えに行ってきた。

「遅くなってごめんね。本当は大学卒業したらすぐって思ってたのに。私、コードもかけないし何もできなくて。時間めっちゃかかってしまった」

「何寝ぼけたこと言ってるの?今、世界で何が起こってるか分かってる?20年前に迎えに来ても意味なかったから」

「遅すぎない。早すぎない。ちょうどいい。よく間に合わせてきてくれたね。今が最高なんだよ」

そんな会話をかわして思った。
世の中に馴染もうとして自分は随分アホになったのではないか。

過ぎたことはもういい。
学んだことを生かして残りの人生で恩返しをしたい。