5月のよく晴れた日の午後、
「今度の自然教室、小林をお願いしても良い?」
担任が申し訳なさそうな表情を浮かべて声をかけてきました。
小林は、先天的な病気があり学校は休みがちで、クラスの男子から壮絶なイジメを受けていました。
イジメを見かけたら必ず「やめろ!やめろ!」と止めに入り、あまりにも悪質な時は担任に報告していました。
遠足などグループを決める前にはこういう打診は良く受けていたし、必ず引き受けていましたが、
この時だけは何か強烈な違和感がありました。
その時は違和感の正体が分かりませんでした。
「原始人の暮らしを体験しよう!」というコンセプトで行われた3泊4日の自然教室。
3日間は宿舎に入れず、住むところは竹や段ボールで手作り、ご飯は、玄米を手作業で精米し、火おこし機で炊き上げる。
なかなか過酷なスケジュールでした。
これ大丈夫なのかと出発前から不安でした。
そして、その不安は的中します。
初日は家作りと夕食作りがメインでした。
「2日しか住まない家なんだから適当で良いんじゃない?」
「はあ?何言ってるのゆいちゃん、こういうのはキチンとしないと後悔するよ!」
私以外の女子2人は、運動神経抜群、しかも、美術系が得意で何度も表彰を受けていました。
「そんなに言うならそうしようか・・。」
彼女らの理想の住まいを形にするために、みんなで頑張りましたが、あっという間に日が暮れてしまいました。
「だめだ!時間ない。どうする?」
「ごめん!ゆいちゃんと男子、ご飯作りに行って。家は私たちで完成させるわ」
家作りは任せて男子一向と炊事場に向かいました。
「なかさん、戦力外通告ですね」
「うるさいなー!男子全員戦力外じゃん!」
「あははは、本気で怒らないでください」
小林が声を出して笑った。つられてみんなが笑う。
何なんだ、この穏やかな時間は。
担任の采配で、小林をいじめる男子は外した班構成。
あり得ないくらいみんなリラックスしていました。
そうは言っても、のんびりも出来ず、すぐに調理に取り掛かります。
「うわー!やばい!間に合うかな」
必死で人参を切ります。視線が痛い。
「なかさん、家で料理とか全然してないでしょう」
「うるさいなー!そんなに言うならやってよ」
「良いですよ」
トントントン軽快なリズム。お母さんが野菜切る音だ。
「うそ、小林、料理できるの?」
「いや、なかさんが出来なさす・・わーごめんなさい」
ケラケラと声をあげて小林が笑った。
満面の笑みってこういうことなんだ。
小林は、こんなふうにも笑えるのか。
いっつも、こんな顔してれば良いのに。
無理だよなあ。
教室ではちゃんと守れなくてごめんね。
涙を必死で堪えて、一緒にゲラゲラ笑いました。
時間が止まれば良いのに。
無事、夕飯のカレーは美味しく仕上がり、男子は手作りの家、女子はテントに向かいました。
その夜、恐れていた事態が起こりました。
台風でもきたのかというほどの土砂降りと暴風。
女子のテントは何とか持ち堪えましたが、
長時間の暴風に素人が作った段ボールの家はどうなんだろう。
嫌な予感がして男子の家に向かって走りました。
「馬鹿だ。安請け合いするんじゃなかった。小林の病気ってなんだ?血液?免疫系?ちょっとの風邪も、怪我も致命傷になるんじゃないの?」
屋根がない家、壁も床も全部ない家。
手作りの家の過半数は壊滅状態でした。想像を絶する事態に足が震えます。
「何が原始人よ。安全を担保しない体験なんて、学校側のエゴなんだわ!小林に何かあったら誰が責任取るんよ?」
半泣きになりながら、ようやく自分達の家に到着しました。
と、とりあえず、屋根も壁も床もある!
「小林、小林、小林いいい!!」
「おはようございます!あれ?なかさん、どうしました?」
「どうしたって?風とか雨とか・・何ともないの?」
「え?夜、雨降ってたんですか?寝てたのでわかりませんでした」
振り返る。ニヤニヤする女子2人。
「昨日は適当で良いとか言ってごめんなさい。立派な家を作ってくれて本当にありがとう」
「いやー、私たちは自分のためにやったんだよね」
「うん!ゆいちゃんや小林のためじゃないよ。あはは」
このうちの1人は同じ部活で、「センスの塊だけど練習は大嫌いで和を乱す」ありがちなタイプ。
当時、部長になりたての自分は相当悩んでいました。
でも、この瞬間に、
「ああ!彼女は、死ぬほど器用なのに、内面は驚くほど不器用なんだ。彼女が実力を発揮できる環境を作ろう。
嫌われ役とか面倒は全部引き受けよう。悔しいけど、勝つためにはこれしかない」と腹を括りました。
その後、創部以来初の県大会出場を果たします。
とにかく彼女に「貴様ー!!」と腹が立った時はいつも、この家を思い出して「ゴクリ」と飲み込んだものです。
さて、事件らしい事件は、これだけで、後は、穏やかな時間が流れて、幸せな「原始人体験」は終わりました。
秋風が吹く頃、小林は学校に来なくなりました。
もしかしたら、もう、会えないかもしれない。どこかでそんな気はしていました。
学園祭が終わり、粉雪が舞う寒い朝でした。
「昨日、小林が、亡くなりました」
朝会で、担任は、肩を震わせながら、そう告げました。
誰一人声を出す人はいませんでした。
1限目は体育で、隣のクラスと合同でバスケでした。
無言で着替えを終えて、試合が始まりました。
3分ほど経った頃でしょうか。
パスを受けた同じクラスの女の子が嗚咽をあげて立ち止まりました。
そして、そのまま膝をついて泣き崩れます。
みんな同じ気持ちだったのでしょう。次々と泣き出して、気がつけば、自分以外全員の女子が号泣していました。
私はただ驚いてその光景を見ていました。
「今、泣いているということは、小林のこと、みんな嫌いじゃなかったの?」
「どんなに酷いイジメを受けても、誰も助けにこないってことは、小林のこと嫌いだからだと思っていた」
「嘘泣きには見えない。本当に悲しそうだ・・。みんながみんな自分みたいに単純じゃないんだ。助けられない事情があったのかもしれない」
そんなことをぼんやりと考えていました。
「小林見てる?みんなこんなに悲しんでいるよ。小林人気者だったんだね」
小林がまだ近くにいる気がしてそう呟きました。
「でも、もう遅いよ。給食に牛乳入れられて、プロレスで毎日泣かされてるの、全部、見て見ぬふりして。好きなら好きって言えば良かったのに。一緒に助けて欲しかったのに」
「なかさん、カオ怖いですよ」
小林、また笑っている。
ああ、小林、小林は強い人だったんだね。
酷いイジメを受けると分かっていても、毎日、笑顔で家を出て学校に向かったんでしょう。
そんなの誰が真似できる?
私がもっと賢かったら、もっと人並みの感情があれば。
教室でもあの笑顔がみられたのかな。
ごめんね。
これが14歳の全力。
葬儀はドラマのワンシーンのようでした。
小林は綺麗に笑っていて、みんな泣いていました。
そのなかに、有り得ないような悲しみを湛えている数人に目が止まりました。
小林の幼稚園からの友達でした。
思えば私と小林の付き合いはたった1年半。
その何倍もの時間を共にした悲しみは私の比ではないだろう。
そんなこと人並みに分かるようになったのか。
その時、7歳の頃母に言われた言葉を思い出した。
「お友達の心の痛みが分からない人間には価値がない」
それ、違う。撤回してもらう。
「この世に価値がない人間なんていない」
「得意なこと苦手なことはそれぞれ違う。完璧な人間なんていない。だから、みんなが手を繋ぐんだ」
自分は感情面が特に弱く、
スイッチを入れないと他人の言うことが分からず、
幼い頃から空気も全く読めず、
だから、
思ったことを口にするのは、怖くて怖くていつも心が潰れそうでした。
でも、小林が勇気をくれました。
失敗を恐れずに行動できるようになりました。
挫けそうになった時、小林の笑顔に何度救われただろう。
小林が強いから、私は思っていることを素直に言えた気がする。
テクニックだけでどうにかしようなんて限界がある。
ロボットではなく人間なんだから。
小林は私の殻を破ってくれた大切な人。
私のなかの英雄を覚醒させた人。
「小林を頼むね」と言った担任に違和感を覚えたのはこのせいか。
私の方が「頼もう」だったのか。
もう30年も経ってしまった。
夕暮れに人参を切る。トン、、トン、、、トン
「なかさん、相変わらずですね!」
「うるさいなー!また、小林?じゃあ、やってよ」
そう、それ!その笑顔。
人参を切るたびに出現する圧倒的な幸福感。
そして、脊髄で反射する厨二の正義感。
私も小林のようにほわほわとした幸せと断固たる勇気を誰かの心の奥に残せる人になりたい。