慶應義塾大学通信教育過程の記録

文学部1類(哲学)を2020年3月に卒業!同大学社会学研究科博士課程合格を目指します。

中学受験の記録

「中学受験で人生が決まるって本当?」

2日目の朝、目黒通り沿いを歩きながら、ふいに長男が呟いた。

「誰が言ったか知らないし、その価値観は否定しないけど。個人的にはそうは思わないかな」

「なんで?」

「死力を尽くしたら、後は、どんな結果であっても、それが最高と言えるように人生を寄せていくだけだから」

「そっか・・」


「世間体とか全部私が引き受けるから。今は余計なことを考えるでない」

「うん」

「あなたが死ぬほど頑張ってきたのは私が知ってる。胸張って答案においてこい!」

「わかった!」

「元気でいってこい!」

笑顔で手を振る。

見送った後、足元から崩れそうになる。
胸が張り裂けそうだ。怖い。
変われるものなら変わりたい。

「大船に乗ったつもりでいて!」
子どもの頃は調子いいことばかり言ってたな。
父と母に謝りたい。
見守る側がこんな思いをしているとは。

中学受験の話をすると何万文字になるか分からない。
受験生の親御さん全てがそうだと思う。

印象に残ったことを少しだけ記録しておきます。


2060年に虹を描こう

詳細は書けないですが、最後の追い込みでSDGs関連の対策をしていたときです。

SDGs、ESG、CSR・・この数年間、仕事で何度も扱ってきたなあ。任せて!

その時、ふと、恐ろしいことが頭をよぎりました。

待って、これ12歳の子どもが論じるの?

私が知る限り、2040年までなら何とかぎりぎり語れるけどその先は?

2040年では彼らは30歳にもなっていない。

2060年でも50歳。

もし仮に2030年に全て達成していたとしても、それを如何に持続させるのだろう・・。

「息子よ、なかなかの難問ではあるが良い機会なので、共に考え尽くそうではないか」

「おうおう」

答えのない問いに真摯に向き合い続けた時間は苦しくもありましたが、

互いの新たな夢や希望を見出す貴重な機会になりました。

そういえば、大学生の頃、孫の代まで地球が保ち応えるか分からない。

そんな状況で子孫を残すのは無責任ではないかと真剣に考えていたことを思い出しました。

当時捻り出した答えは

自分は政治家でも科学者でもない。それでも、できることがあるならば、

何があっても折れない心を育むこと。そのためにがむしゃらに子ども達を愛し抜くこと。

可能な限りの知恵と最新のテクノロジーを継承すること。

「普通は大学生がそんなこと考えないよね。やっぱお母さん変わってるわ」

「そうかな?あなたの孫の代には2100年超えるけど、何か秘策はあるのかね?」

「なんとかする。それに1人じゃないから」

「おお!具体的に述べよ述べよ述べなさい」

こんな会話が世界中でされているのかな。

孫の孫のその先の代まで
地球が愛と笑顔で溢れますように。

心臓が抉られるよな日々のなかで、
十三夜月を見ながら不意に和んだ。

終わりに

今回の受験の軸になった高大接続改革なども書こうと思っていましたが、このへんにしておきます。

戦歴も控えますが、合格の二文字を見た時は号泣しました。

合格発表で泣いたのは生まれて初めてです。

子どもの受験を経て少しだけ人間らしくなった気がしました。

今日まで支えてくださった全ての方に感謝します。

努力が報われず 
不安になって
珍しく僕に当たったりして

ここで諦めたら今までの
自分が可哀想だと
君は泣いた



夢を追う君へ
 
思い出してつまずいたなら

いつだって物語の 
主人公は笑われる方だ

人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

by サザンカ

先の見えない不確実性の時代に、
最後の最後までやり抜いた子ども達と
親御さんに心から敬意を称します。